18切符で天空の城、備中松山城へ
岡山県高梁市
(2013・8・22)

  18キップ箱根旅で小田原の居酒屋で出会った「日本の城」大好きの男性の話が縁となって、今回のお城を訪問となりました。私が「難攻不落の小田原城」を見てきたという話から、小田原城を攻めた時に山の上に造った豊臣秀吉の一夜城に行ってみればと勧められた。しかし、猛暑の中の山歩きには耐えられそうにないので断念する。その秀吉がキーワードになって、秀吉の水攻めで有名な城「備中高松城」を思いつく。だが、ここにはお城は残っていないようだ。秀吉が山の上に造ったという一夜城の話を思い出して、同じ備中の「天空の城・松山城」とともに訪れようと出かけました。


この前の18キップ箱根旅と違い、こちらは乗り換え3回、
約4時半で備中高梁駅に着きました。

 

備中高梁駅:特急「やくも」と私が岡山から乗ってきた黄色の普通列車です。

 

プラットホームにあった案内板
松山城は駅から約3kmか・・・





まず、駅前の観光案内所(写真左端のなまこ壁の建物)で情報収集。
 松山城は見えている臥牛山(標高430m)の山上にある。日本で一番高い所に天守が現存する山城です。天守の屋根が光って見えていた。どんなお城か楽しみだ。
 今日も強烈な暑さだ、山腹の鞴(ふいご)峠までタクシーで1,250円だというのでこれに決める。帰路は歩く予定で出発する。


 



鞴峠の駐車場にあった案内から
 小松山の山頂を中心に築かれた近世城郭で、一般に「備中松山城」と呼ばれている。天守の現存する山城としては随一の高さを誇っている。城内には天守、二重櫓・土塀の一部が現存しており、昭和16年に国宝に指定された。平成6年から重要文化財を中心に本丸が復元整備され、本丸南部御門をはじめ東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、土塀などが史実に基づいて復元されている。

 この図ではカットしているが・・・
この松山城のさらに上、大松山山頂(標高470m)に大松山城跡(おおまつやまじょう)がある。延応2年(1240)有漢郷の地頭、秋葉三郎重信が臥牛山のうち。この大松山に砦を築いたのが備中松山城の創始と伝えられている。
 


鞴峠からの登山道
帰路は左の道を下ることになる。



鞴峠からお城まで800m
木陰の道だが暑くて汗が噴き出す。
 
 


お城の石垣が見えてくる。
 


大手門手前の岩壁に
城の石垣が張り付いている。
 


大手門址
 


大手門から続く土塀が雰囲気を盛り上げる。
 


二の丸からの望む高梁市街
 


自然の要害が一目瞭然だ。
説明板の航空写真を拝借する。
 


二の丸から見た本丸と天守
 


天守の裏側へも行ける。




ガンガン照りの太陽を背に受けて
二の丸広場からのスケッチです。





もう一枚鉛筆主体で描く




 






 
  岩壁に張り付いた天守と二重櫓
 




 
 天守の窓から望む
 


本丸の東御門
 


こんな暑いのに団体の観光客が・・・
 


下山途中にあった
「大石内蔵助」腰掛け石
 高松城の主、水谷家は三無血開城することに成功しました。代で世継ぎがなく断絶。この際、城の受け取りに来たのがなんと播州赤穂の家老・大石内蔵助でした。


いま下ってきた登山口を振り返る。



 



 



 
  登山口を後にして高梁市外へ下っていく。

このあと、鞴峠へ来る途中にタクシーから眺めた「武家屋敷」を訪ねようと考えていたが、道を間違えてしまい行けませんでした。
 


 NHKの大河ドラマ「八重の桜」にでてくる新島襄も訪れた高梁、明治22年(1889)に建設された高梁基督教会堂(岡山県指定史跡)




 帰り道はお城のある臥牛山から歩いて駅まで戻る。汗ビッショリだが着替える場所がない、備中高松へ向かう車中の片隅で着替えてすっきりする。冷房がうれしい。
 


備中高松城跡へ
 次は豊臣秀吉の中国毛利攻めであまりにも有名な話として伝わっている「備中高松城跡」へ。伯備線で総社駅まで戻って、吉備線の岡山行きに乗り換える。備中高松駅が近づいてきたが、城址を想像できる風景は見つからない。来る前にチェックして想像していたとおりだ。

 
 

 高松城址付近の風景
 
 冷房の効いた快適な電車から降りると、また一気に汗がしたたりおちる。高松城址は駅から約1km、ここまで来たのだからと頑張って歩くことにしました。





 史跡舟橋というからこの小さな橋がそうなのかと思ったら・・・
「高松城は平城で、三方を堀で囲まれていたが、この南手口は開戦直前に八反掘を掘り外濠とした。そこへ舟を並べて舟橋(長さ約64m)とし、場内からの進攻に用いた。引くときは舟を撤去できる仕組みで、城の西北の押出式の橋と共に大きく防御の役を果たしていた。」ということでした。 
 


 


史跡・高松城址(水攻め築堤阯)
 





  高松城跡は公園のように整備されていました。
 


清水宗治公の自刃跡
 


清水宗治公の首塚

 現地を訪れ、高松城址を散策したが復元されたお城があるわけでなく、民家や農地が広がる平坦な場所からは高松城のイメージがわかない。迫力のある天空の城・松山城を見た後なのでよけいにこの思いが強いのかも・・・
 
 


 

この高松城水攻図と城を囲む秀吉側の布陣図が当時の様子を想像させてくれました。 
 (どちらも現地にあった説明板から切り取って掲載させてもらいました。)
 


備中高松駅

 


備中高松駅とディーゼルの普通列車


 せっかくここまで来たのだから、一泊して岡山城と後楽園を訪ねようと考えていたが、この日も酷暑の一日で体力・気力を消耗してしまい、結局日帰り旅となってしまいました(^^;)。