2013年8月9日 二日目(NO.1)です。
( 2013・8・8〜10)

 二日目はこの旅の本命、箱根です。早朝5時に起床してホテルを出発、すぐ近くの小田原城を散策して駅へ向う。

小田原城



 小田原城は、戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、北条氏の本拠地として有名です。江戸時代には小田原藩の藩庁がありました。城跡は国の史跡に指定されています。

東海道五十三次 小田原
(歌川広重)
 東海道を歩む旅人にとってこの地は特別なものであったことでしょう。徳川幕府は江戸防衛のため、酒匂川へ橋をかけることも渡し舟を使うことも許さず、旅人は渡し場から川越え人足によって川を渡らねばなりませんでした。酒匂川を渡り疲れきった旅人を迎えるのが、江戸日本橋を九つ目の宿にして初めての城下町であるこの地「小田原」です。人々はここ小田原の地で疲れを癒し、英気を養い、天下の儉、箱根山に向かいました。(小田原駅近くのビルの一角にあったものから絵と文を転載させてもらいました。)



天守へのアプローチ





小田原城の天守閣
 天守の構造は複合式層塔型3重4階(1633年 築)で、現在の天守は1960年 RC造りで復興されたもの。
 北条氏は、居館を現在の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高校がある場所)を詰の城としていた。3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵のお城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。(ウィキペディア・フリー百科事典より)




6:00 早朝の小田原駅




小田原駅2Fから見える小田原城天守



小田原駅


箱根登山鉄道のりば



 この電車は小田原―箱根湯本間を走る。箱根湯本駅で強羅行きの「登山電車」に乗り換える。

箱根登山鉄道 

 箱根登山鉄道はわが国唯一の本格的山岳鉄道として1912年に箱根湯本−強羅間の敷設工事を開始。山岳鉄道の本場スイスに学び建設を進める。途中3ヶ所にスイッチバックを設置、80/1000の急勾配や半径30mの急カーブなど、当時の最新技術を駆使し起工より6年半、数々の困難を乗り越え1919年に開業しました。その中で、箱根外輪山を結ぶ全長60m、水面からの高さ43mの早川橋梁(通称・出山の鉄橋)は技術的に見ても貴重なものです。今日、その価値が評価され、箱根登山鉄道全線が「平成19年度選奨土木遺産」に認定されました。





箱根湯本−強羅区間を走る「登山電車」に乗り換える。

途中にある3ヶ所のスイッチバックで方向が変わるたび高度を上げていく。窓外の景色やスイッチバックですれ違う電車、初めての登山電車はなかなか楽しい(^_^)。






かなりの急こう配



スイッチバックの線路
右の線路から今登ってきた。今度は直進してさらに高度を上げていく。運転席はスイッチバックのたびに代わるので忙しい。


すれ違う登山電車






午前7時過ぎに強羅駅に着く。
 この強羅駅でまた乗換する。今度はケーブルカーで早雲山駅へ向かうことになる。しかし、始発は7:40発、しばらく待つことに・・・早朝出発でサンドイッチも買えなかったので朝食といきたかったが駅の売店も駅前のお店も全部閉まっている。しかたなく自販機のポカリスエット飲みながら始発を待つことにする。


強羅駅


早雲山へのケーブル


早雲山駅に着いたが、またまたロープウエイの始発まで待つことになる。折角早朝出発してきたのに・・・(^_^;)



早雲山駅前からの展望。

(右上の写真)早雲山駅出たところに大涌谷(80分)・神山(110分)へのハイキングコース入り口がある。待ち時間があるのでちょっと歩いてみました。木々に覆われた山道ですが、ちょっと登ると汗が噴き出す。山歩きは好きだが今回は観光と決めて駅へ戻り、二日間乗り放題のキップのお世話になりました(^_^;)。写真には大涌谷のガレバの一部が見えています。





ロープウエイからの展望。
ロープウエイは通常一本のロープですが、
何故かこのロープウエイは2本のロープがある。
その種明かしは・・・・ (箱根ロープウエイHPより)
 箱根ロープウェイは風にも強くスピードも変幻自在! 箱根ロープウェイのゴンドラは安定性の高い「フニテル方式」を使用しており、風速30mの強風にも耐えることが出来ます。スピードも変幻自在に変更できすいている時間はゆっくり運転してお客さまに空の散歩を楽しんでいただけます。
 近年オーストリア、スイスのアルプス地方で稼働をはじめた「複式単線自動循環式(DLM)フニテル」が、箱根の山岳気象に最も適していることから採用された。        



大涌谷の歴史
火山活動から生まれた大涌谷

 約3000年前、箱根火山で水蒸気爆発による山崩れが発生し堆積物が地表を覆いました。さらに約2900年前に、小規模な火砕流が発生、冠ヶ岳ができ、また火山砕屑物が積もりました。この2つの火山砕屑物と山崩れによる堆積物の間が現在の大涌谷と呼ばれるエリアです。 かつては「大地獄」と呼ばれていたのですが、1873年(明治6年)8月5日の明治天皇・皇后のご訪問を前に、現在の「大涌谷」に改称されました。その後、大涌谷観光センターが整備され、観光用に噴煙や硫黄を見ることが出来るようになり箱根の代表的な観光スポットとして、多くの観光客で日々賑わっています。
(大涌谷観光センターHPより)



大涌谷の真上にさしかかる。
温泉井戸から蒸気が出ているのが見える。
きつい硫黄の臭いが鼻をつく。



大涌谷から冠ヶ岳を望む。



9:00 大涌谷駅が正面に見えてきました。





大涌谷駅からの眺め。
さすが標高1000m、日陰に入るとすずしい。

 大涌谷から世界遺産の富士山を描こうと来たが、残念ながらこの日は夏特有の霞みがかかっていて富士山は顔を出してくれない。しかたなく眼前に聳える冠ヶ岳と噴煙を上げている大涌谷を描きました。





大涌谷と冠ヶ岳



 箱根のガイドブック買っていたのに交通路線と箱根のアウトラインをチェックしただけです。一日で箱根を見て回るのはこんな駆け足旅になってしまいますね。大涌谷は休憩兼ねて眺めるだけで散策はしませんでした。ということで次は芦ノ湖です。ここからロープウエイを乗り換え芦ノ湖へ下るのですが、長くなるので次のページとさせてもらいます。