琵琶湖一周歩きVoL..16
高島から近江今津(琵琶湖歩き完結編)

2002.6.28(金)

鵜川四十八体仏
天文年(1553)に近江半国の守護職であり、観音寺城主であった六角義賢が亡き母の追善のため弥陀四十八願に因んで造ったと伝えられている。
仏体はいずれも定印を結んだ阿弥陀如来像ですべて同一の様式を示している。石質は花崗岩で風雨による摩滅もみられるが容ぼうや衣文の調法によく時代の風を存している。
乙女ヶ池(琵琶湖の内湖)
もとは「洞海」、「うらなみ」とも呼ばれた。この内湖は天平宝子8年(764)に「恵美押勝の乱」の戦場となり、恵美押勝(藤原仲麻呂)と、その一族郎党が処刑された”勝野の鬼江”と推定されている。背後の山には壬申の乱(672)の際、近江朝(大友皇子軍)の基地であった「三尾城(みおき)」の存在が考えられるほか、近辺は万葉集で詠まれた「勝野津」「香取ヶ浦」などが続いており、この地域が古代史上重要な位置を占めていたことがうかがえる。近世にいたっては、天正6年(1578)織田信澄がこの水域を利用して”水城”大溝城を築城している。城の周囲が水で囲まれ、水路で琵琶湖と通じていた。昭和初期に乙女ヶ池と呼ばれるようになった。
乙女ヶ池(琵琶湖の内湖)は大溝城の外堀でした。
小さな大溝城跡
5:36 早朝の守山駅出発
 梅雨の晴れ間をねらって、琵琶湖一周歩きに出発。今日は最後に残った近江高島から今津コースを歩く。昨年の11月よりはじめた琵琶湖歩きも今回で完結編を迎えた。 
 この前はJR高島駅から北小松間はリトル比良を歩いたので、湖岸にある白鬚神社(しらひげ)と鵜川四十八体石仏を残してしまった。今日は完結編の見所として約4kmを往復して見に行きました。 まず高島駅のすぐそばにある大溝城跡に立ち寄る。
野道でであったハマヒルガオに面白い形の蜘蛛が・・・・新しいデジカメでマクロ撮影にトライ
乙女ヶ池から国道の下をくぐり湖岸に出る。コンクリートの堤防沿いの道を南へ向かう。この道が国道161に出会う所(山側)に近江”湖の辺の道”の道標(石仏0.2km:白鬚神社1km)がある。道標に従い山手に入っていく樹林の中に広い墓地にでる。その入り口に”鵜川四十八体仏”が鎮座していた。
ふたたび国道に、湖中に朱塗りの鳥居が見えてきた。白鬚神社はすぐそばにある。
早朝から対岸の沖ノ島をバックにバスつりをしている。
白鬚神社は近江最古の神社、本殿は国の重要文化財です。現在の社殿は慶長8年豊臣秀頼が造営したもので、御祭神は猿田彦命で延命長寿の神様として、またすべての「みちびきの神」として広く知られています。湖中の鳥居と本殿が国道で分断されていて、車の往来が激しいのが気になります。湖周道路が完備してドライブには便利になったが景観には問題を残している。
9:00 引き返してきた高島の町に地酒ののれんが・・・「萩の露」という酒造、さっそくお店の中へ入って吟醸酒を1本お土産に買う。もちろん自分用ですが(^_^;)、
萩の浜でみたアオサギ。ちょっと近づくと飛び去ってしまう。
11:00 安曇川の南流:河口方面(琵琶湖)を見る。まだまだ今津は遠い・・・今日もかなり暑くなってきた
安曇川南流からの上流の眺め
この少し上流には遡上するアユを獲る簗(やな)があると表示があったが、暑さで少々バテ気味、残念だがパスする。
安曇川に遊ぶ白鷺(上の写真よりトリミング)新しいデジカメの威力だ(^_^))
湖面を泳ぐかも
ギラギラ照りつける湖周道路の側道をえんえんと歩く。やがて新旭の風車村下見えてきた。6月末までは花菖蒲が見られるとあったがここもパスして琵琶湖歩きのゴールとなる今津を目指す。
常夜灯の向こうに今津の町が見えてくる。
海津大崎の手前にはゴール今津の町が見える。
湖岸沿いの旧道を歩いてJR今津駅に到着。今日で急ぎ足の琵琶湖一周歩きが完結しました。この企画を思いついたのは写真家の八田正文氏のお宅で出会ったM氏とその著作「琵琶湖逍遥」をいただいたことがきっかけで実現しました。その出会いに感謝してこのシリーズを終わります。記録アルバムみたいな琵琶湖一周歩きシリーズをご覧いただきありがとう。