近江八幡のボーダレス・アートミュージアムNO−MAの企画展
アール・ブリュット作品との対話

〜心の病と表現衝動〜
(2009・2・3)

 今日の朝日新聞に「アール・ブリュット作品との対話〜心の病と表現衝動〜」という企画展が紹介されていた。31才で統合失調症になったスイスの作家・アロイーズの独自の世界を描いた作品に興味を引かれて近江八幡まで出かけてきました。



2009年2月3日(火)〜3月29日(日)
月曜日休館(祝日の場合は翌火曜日休館)
10:00〜17:00
大人500円・高大生450円・中学生以下無料(二会場共通券)



二会場共通入場券(拡大)




この企画展は二会場に分かれています。このページの最下段の地図をご参照ください。
朝日新聞の「精神障害をかかえる内外作家絵画展」と言う記事と作品(モノクロ写真)、特に特にスイスの作家アロイーズに興味をもってさっそく出かけました。

近江商人の町屋を改造した素敵な会場と作品のディスプレイでしたが、撮影禁止のため入場するとき頂いたNO−MAの資料から転載させてもらいました。




アロイーズ
<第1会場>ボーダレス・アートミュージアムNO−MA

 アロイーズ・コルバス(Aloise Corbaz スイス・ローザンヌ生まれ:1886−1964)
 31歳で統合失調症を病み、その後46年間に及ぶ精神病院での入院生活で膨大な作品を残しました。高い教養を持っていたアロイーズ゙、オペラの場面や錬金術などの知識を自分のものに融合させ、独自の世界を描き創造ました。
 「アール・ブリュット」の概念を発案した画家ジャン・デュビュッフェは早くから彼女の芸術に情熱的な関心を寄せ、主要な作家としてアール・ブリュット・コレクションに作品を加えました。以来、アロイーズの芸術は人々を魅了し国際スケールへと広がっています。
 今展は、スイス・アロイーズ財団の協力により、初期から晩年に至るアロイーズ作品を一望することが出来る大変貴重な展覧会となっています。
 色鮮やかな作品群は、まさに朝のように華やかに舞い、アロイーズの再生を物語ります。この展覧会は表現のあり方についての問いを私たちに投げかけ、芸術の概念に衝撃を与えることでしょう。
(NO−MAのパンフレットより)


会場にこんなコメントがあり、人物の目がすべて青い色になっていることに・・・
・・・・やっと気づいた鈍感な私でした(^_^;)

”瞳のない青い眼差し”
「彼らは盲目で、それは彼らが現存しないからなのだ。彼らはアロイーズの心の中にいて、彼らを取り囲むあらゆる物質は彼女の代数学の単純な数字なのだ」
・・・ジャン・デュビュツエ・・・・





目覚めぬ夢
〜日韓のアール・ブリュットたち〜
<第21会場> 旧吉田低

「アール・ブリュット」という概念は、障害者の芸術をさす言葉ではありません。しかし、1930〜40年当時、主に精神に障害をおった人々の表現の発見がメインであることは事実です。そして彼らの作品に対して新しい価値評価をもたらしたこの概念は「表現」というものが人間の心の深層に眠っているイメージの豊かさや不可思議さに光をあてることになったのでした。それは人間個々人が、病んでもなお保ち続ける「生きぬく力」というものに深く関わっていることを明らかにしたものと言えるでしょう。
 当然のことながら、日本にもそのような作品は存在します。この度、私たちの数年間の国内及びアジア調査の着手の中で、新たに発見してきた作品の中から選定した5人の作品を展示氏ご覧いただきます。目覚めぬままに疾走する非現実世界のランナーたちの夢に出会ってください。

(NO−MAのパンフレットより)




下記の関連イベント(入場無料・要予約)があります。

※記念公演「アロイーズの宇宙へ−アロイーズの芸術と生涯について−」
2009年2月7日(土)
13:00〜14:00(定員80名)
会場:かわらミュージアム企画展展示室
公演:ジャクリーヌ・ポレ=フォレル(医師・アロイーズ財団会長)
 アロイーズ研究の第一人者であるジャクリーヌ・ポレ=フォレル氏は精神病院に入院中のアロイーズと1941年に出会い、その後訪問を重ねて必要な画材を提供し、制作を亡くなるまで見つめてきた方です。ジャクリーヌ氏による記念公演ではアロイーズの生涯、制作の様子や世界観について話していただきます。


お問い合わせ
ボーダレス・アートミュージアムNO−MA
0748−36−5018
〒523−0849 滋賀県近江八幡市永原上16
URL http://www.no-ma.jp




<第1会場>ボーダレス・アートミュージアムNO−MA
 当建物は昭和5年に建築された京風数寄屋造りの町屋(野間家の分家)で、平成16年に改築され、現在は福祉とアートが交差する施設「ボーダレス・アートギャラリーNO−MA]として一般公開されています。)



永原町通り(近江八幡市永原上)


 通りの右が<第1会場>ボーダレス・アートミュージアムNO−MA。向側の町屋(通りの左)は野間清六邸(本宅)です。
野間清六(のませいろく):延享年間(1744−1748)に下総(茨城県)結城に開店したと伝えられ、「角大」近江屋久右衛門と称し、醸造業を営みました。西井新兵衛、近江屋太兵衛らと共に結城三家と言われ、その中でも清六家の勢力は著しく、結城藩水野家の御用金を承り、名字帯刀を許されました。
 家業は明治33年に畳まれましたが、後代の清六氏は書画を愛好され、仙台は国立博物館の学芸部長として活躍されました。(建物の案内板より転載)






<第21会場> 旧吉田低
 日牟禮八幡宮横の瓦ミュージアムへの道沿いにある旧吉田低です。大きなポスターがないと古い町屋というだけで通り過ぎてしまいそうです。ちなみに正面に写っている小さな神社は日牟禮八幡宮ではありません。





 企画展を見た帰り道に立ち寄った白雲館です。アール・ブリュットたちから強い印象を受けたのに凡人は急には変われず、あいかわらずの早描きスケッチをしました。


白雲館

日牟禮八幡宮参道の鳥居が重なってちょっとごちゃごちゃしてますが・・・

 白雲館は明治10年に八幡東学校として建築された貴重な擬洋風建造物です。近江商人が子どもの教育充実を図るためその費用の殆どが寄付で賄われました。現在は観光案内所が設けられお土産や特産品も展示販売されています。