舞鶴散策
2006・6・21



今日まで梅雨の晴れ間がつづくという。いつも近場ばかりでちょっぴりマンネリ状態、気分転換にちょっと遠くへ行きたい。前から赤れんがの建物を描きたいと思っていたので舞鶴へ行くことにする。京都から福知山行きの普通電車に乗り込む、ゆっくり旅のはずがちょうど通勤ラッシュで満員だ。園部に着くころやっと座れる。この駅で後ろ4両が折り返しの京都行きとなるが、ラッキーなことにたまたま乗り込んだ車両(前より1・2号車)はそのまま福知山行きとなる。舞鶴へは福知山の手前の綾部でJR舞鶴線に乗り換えて約20分ほどで到着しました。



西舞鶴駅の北近畿タンゴ鉄道車両

 この電車に乗ると天橋立へ行ける。日帰りでなければその先の船屋で有名な伊根へ行けるのにと思ったが生憎明日は雨模様、無理して行ってもスケッチはできないので諦める。




西舞鶴の駅舎

 駅で舞鶴観光マップをもらう。あれれ?目指す赤れんが倉庫群は西舞鶴でなくて東舞鶴なのに気づく。地図で見ると約4kmもある。まあ歩けない距離でもないので、まず西舞鶴の町を歩いてみよう。

 

 近くに戦国大名、細川幽斎(藤孝)が現在の伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に築いた田辺城跡がある。今年のNHK大河ドラマ「功名ガ辻」で最近見たシーンを思い出しました。
 関が原合戦の前哨戦として、石田三成方一万五千の軍勢に攻められたとき、わずか500人程度で田辺城に籠城して戦い抜いたとある。
舞鶴は16世紀末から明治時代まで田辺城の城下町として栄えてきました。また舞鶴の地名は田辺城の雅称(舞鶴城:ぶかくじょう)に由来しているとか・・・



田辺城跡(舞鶴公園)
この城門の上に田辺城資料館(無料)がありました。



舞鶴市のマップ



 

 高野川河口に倉庫群があるというので行って見たが、適当なスケッチポイント見つからない。時間がもったいないので赤れんが倉庫群を見るため東舞鶴に向かって歩き出す。真夏のような暑さで汗びっしょり、たまらず伊佐津川を渡ったところの税務署前からバスに乗る。五老トンネルを抜けて下っていくと海上自衛隊桟橋に出る。いろいろな艦艇停泊している。とりあえず赤レンガの倉庫群のある舞鶴市役所前で下車して赤れんが博物館へ・・・

舞鶴市には、明治34年(1901)旧海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴ない、海軍が建設したものを中心に多くの建造物が現存している。



赤れんが博物館
明治36年(1903)に旧舞鶴海海軍兵器廠魚形水雷庫として建設されたもので、本格的な鉄骨構造のれんが建築物としてはわが国に現存する最古級のもの。
 れんがの歴史は今から約1万年前に始まったといわれている。紀元前のメソポタミヤ、エジプト、紀元後のローマ、万里の長城のれんがやれんが窯が紹介されていました。







北吸トンネル
 明治37年(1904)に軍港引込み線として造られたレンガ造りのトンネル。
 いまは自転車・歩行者道として東舞鶴駅からの赤レンガ倉庫群への散策路として整備されていました。



舞鶴市政記念館






 明治35年竣工のれんが造りの倉庫を見ながらちょっと高台の文庫山学園へ、明治33年、海軍測器庫の赤れんがの建物があったとか。



文庫山学園前からの舞鶴湾の展望







 文庫山学園前から自衛艦をスケッチしました。その向こうにはユニバーサル造船所(非公開)の大きなクレーンと船舶が見えています。
海上自衛隊北吸桟橋と海軍記念館は土、日、祝しか無料公開されていなくて残念でした。






明治期のれんが造倉庫
軒蛇腹や窓のアーチに幾段もの段差があるが、大正期の建物の外観はシンプルだった。



民間の現有倉庫となっているれんが建造物
海上自衛隊北吸桟橋から東舞鶴へ向かう国道27号線。



左が大正期の建物
明治期の建物の間に引込み線の跡が・・・


明治期の建物

大正期と明治期の外観の違い、大正期のものがシンプルだということが判るでしょう・・・




海上自衛隊北吸桟橋


土、日、祝日なら無料で見学できるのに残念。
バリケードの網目から写す。



西舞鶴に戻って、高野川の倉庫群を歩く

中総合会館の交差点から五老ハイキング道に入ろうとしたがよくわからない。あまりの暑さでばて気味なので歩くのを諦めバスで西地区へ戻りました。





 城下町として発展してきた高野川河口の竹屋町界隈は廻船業を中心に栄え、今も川沿いにかっての倉庫が立ち並び往時の面影が・・・



スケッチした後、お寺や神社が並ぶ愛宕山麓を歩いて西舞鶴駅へ



紫陽花と多宝塔


本堂
円隆寺

奈良時代に行基が創建。平安時代、皇慶上人が中興したといわれ、平安時代の丈六仏のほか、数多くの重要文化財を収蔵しています。