姉川古戦場から虎御前山へ

2005・4・21


織田信長の浅井氏攻めの砦の跡(横山城跡)から、次はそこから展望できる姉川古戦場と小谷山城へ行こうと思っていました。それでまず姉川古戦場へ・・・・

姉川の決戦
 姉川を挟んで北に陣取る浅井・朝倉連合軍(一万八千人)と南側の織田・徳川連合軍(二万八千人)が元亀元年(1570)六月二十八日、午前五時頃から戦いが始まった。最初優勢だった浅井・朝倉軍だったが徳川軍の力戦によって朝倉軍が後退したため、午後二時頃浅井・朝倉軍は小谷城へ敗走した。その後、一時和睦が成立したが、天正元年(1573)八月浅井氏は小谷城において滅んだ。



姉川の古戦場
後方に見える低山は織田信長や秀吉が砦を構えた横山丘陵(横山城跡)です。



姉川古戦場の石碑





 姉川古戦場から次に織田信長軍が小谷城攻めに砦をつくった虎御前山へ登りました。
虎御前山と小谷山は国道365号と北陸自動車道が通っているだけの狭いスペースを挟んだごく接近した位置関係にありました。



虎御前神社
以前はここからも登山道があったと農作業のおばさんが話してくれましたが、今は道が消えているとのこと。神社の石段を登ってみたがやはり道らしいものは見つからない。ちゃんとした道のついている中野の集落へ移動する。





虎御前山の登山口
 ここには駐車場もあり、途中のNTT-DOCOMOの中継アンテナまで舗装道路となっています。また、この山には県立青少年教育キャンプ場も整備されていました。


虎御前山
 虎姫町の北部に位置し、竜が伏せたように連なっている標高224mんの独立した丘陵で、八相山ともいう。古墳時代から奈良時代にかけてのものと推定される円墳や前方後円墳の遺構が数多くあり、戦国時代にはこの古墳を利用した砦が築かれていた。
 蜂屋頼隆陣が築かれていた「北山古墳」や元亀三年、織田信長が小谷城(浅井長政)攻めのために築いた砦跡があり、堀秀正、木下秀吉、瀧川一益、柴田勝家などの諸将も砦を築いていた。

左図は現地の説明板の図に今日歩いたルートを書き込んだものです。



NTT-DOCOMOの中継アンテナ塔
舗装道路の終点になっている。




瀧川一益の陣跡
アンテナのところから山道のハイキングコースになっていた。



 いくつかのコブがあり一番高いところに織田信長の陣跡があった。そこから敵方の小谷山(小谷城)が望め、また味方の陣地も見渡せるという絶好の戦略ポイントを選んでいる・・・



信長陣跡の近辺には白やピンクのイカリ草が群生していました。




信長の陣跡から一段下がった所に秀吉の陣跡がある。
ここからは一段と近くに小谷山(小谷城)が見える。




小谷山の尾根づたいに段状に築城されていたであろう本丸、中丸など手に取るように見渡せる。最前線で敵方と対峙した臨場感が伝わってくるようです。




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