うだつの町並みと淡路島を描くスケッチ旅

一泊二日(二日目)
2012年10月21日(日)

 寺田みのる先生と行く「脇町うだつの町並み・淡路島を描く」スケッチ・バスツアー二日目のレポートです。今日の予定は「神戸淡路鳴門道」を北進、津名一宮I.Cから西に下った海岸にある「江井漁港」でのスケッチです。今日も晴天ラッキー(^.^)




出発前、ホテルの庭園で皆さんのスケッチ作品を並べて、寺田みのる先生の画評がある。スケッチツアー参加者は32名、それぞれの絵について、その特徴をうまくつかんで手際よく評価されるのはさすがでした。皆さん熱心に聴かれていました。


8:30 南淡路ロイヤルホテルを出発する。今日も青空がひろがって陽射しがきつい。
約1時間ほどで江井漁港に着きました。


江井漁港の漁船




スケッチ前の記念撮影
皆さんガイドさんのカメラ目線なので
横向きでちょっと変な構図になってしまいました。


江井漁港風景




漁船がたくさん停泊している。今日は日曜日で休漁日だからだろう。






造船所がある風景を描いて見たくてスケッチしたが、
ゴチャゴチャしていて難しかったです。


江井の港について

「天然の良好・江井港」
 その昔、播磨灘に突き出した岬が冬の季節風をさえぎり、事前の入江を造成し、その入江がどんどん陸地にに入り込み、港となったのが江井漁港の始まりといわれています。また「江井」という地名は、港が魚の「エイ」の形ににているところから始まったという説があります。



江井浦絵図(天保時代の頃)浜岡きみ子氏蔵


「海運業で栄えた江井港」
 藩政時代、江井に徳島藩邸が設置されると、江井港は自然の良好に加え藩が修築を重ねることで、急速に海運業が発展していきました。そのために個人所有の船舶が増え、各地へ寄航、交易地を開拓しながら、広く日本全土にわたって航海して行きました。幕末には「住田家」などに代表される海運業の発展により「淡路の富の七割まで江井浦が持っていた」といわれるほど、島内屈指の港町として栄えました。

「帆船によって開かれた新産業」
 冬の江井浦は季節風に閉ざされ、漁師は漁に出られない「冬枯れ」の日がつづくため。その対策として江井浦に住む田中辰蔵が、嘉永年間(1848〜1854年)に泉州堺から熟練工を迎え、線香作りを始めました。原料は九州、四国、和歌山、播州方面から買い入れ、製品は全国各地へと販売されました。その輸送に当たったのが、当時、長崎・平戸から阪神間の交易に従事していた江井港の大きな帆船でした。

「淡路の地場産業として」

 江井で製造される線香は、明治初期には「久盛香」・「藤田香」として広く日本各地に知られるようになりました。大正に入り業者はさらに増加し、淡路の地場産業として大きな位置を占めるようになりました。その後も地元の投資などを得て、品質の向上、販路の拡大に努め、今日では全国有数の産地として発展しています。

(漁港にあった案内板からの転載です)



漁港のひなびた路地が描きたくて散策したが・・・




日本線香のカンバンがあったが・・・
日曜なのか店は開いていなくて残念。
 今日は地元のマラソン大会で静かな町も賑わっていた。その係員の人に港が展望できる場所を聞いたら、高台にあるお寺への道を教えてくれました。



右の道の突き当たりにお寺への石段が見えてきた。




ちょっと急阪を上るとお寺の境内にでました。
だけど港が展望できる場所がない。





江井漁港の展望スケッチ

スケッチができる場所を探して歩き回る。
木々の繁る中、ほんの一部ですが港が見渡せる場所がありました。





江井浦展望



今は静かな海水浴場の浜


江井漁港の滞在時間は2時間、やはりいつもの歩き回る癖が出て
スケッチもそこそこに町中を散策してしまいました。


12:30 明石海峡大橋の見える高台の「淡路ハイウエイ・オアシス」に着く。
今日の昼食の場所だ。



観光客で賑わう、昼食をしたレストランの南国風のロビー



昼食含めて1時間の休憩なので、さっさと食べ終えてスケッチへ。
こんな時間のないときは小さなスケッチブックが威力を発揮しますね。





明石海峡大橋の見える素敵なビューポイントからのスケッチです。
(B5 水彩)

日曜日の混雑を避けるために早めに出発したためか、バスは快適に走る。
一泊二日の楽しいスケッチツアーもあっという間に終わりに・・・・



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