歴史ハイク 超低山の安土山

[2002年1月5日]
 食べて、飲んでの正月をちょっぴり返上するため、安土城址のある安土山から近くにある文芸の里(信長の館)と安土城考古博物館を回ってきました。午後から晴れてきたので、出かけたが風が強くとても寒かったです。夕方には雪混じり小雨と風となりました。




JR安土駅から約20分で安土城址前についた。



「文芸の里」からの安土山の眺め





             安土城
 織田信長が天正4年(1576)から3年の歳月をかけて造ったお城。瓦に金箔を施し、贅を尽くした絵画で装飾するなど、わが国の華麗な天主を有する近世城郭のはじまりを示すものでした。本能寺の変のあと焼失してしまい、今はその石垣を残すのみとなってしまった。(パンフレットより)


 安土城址石碑のところから江藤邸跡と駐車場の間を入ると、急坂の幅の広い石段になる。ここが安土城正面道(大手道)だ。写真は大手門跡から、右側の石垣は伝前田利家邸跡、左側が伝豊臣秀吉邸跡がある。




 石段の材料として使われている石仏。築城のための石材は近くの山々から切り出されたが石仏や墓石なども使われたらしい。あちこちにある石仏は出土したままの位置においていると説明がついていました。






城の防備の重要な大手道の途中からの展望
安土城址からの展望




 左端は近江八幡市の八幡山、後方の山は長命寺山と津田山。琵琶湖はこの山の後方にあります。前にあるのは西の湖です


 安土山は標高200mくらいの超低山ですが、一気に急な石段を登るのはきつかったです。展望の少ない樹林と石垣の中を歩いて二の丸、本丸屋敷跡から天主跡までのぼる。礎石のみなので写真は撮りませんでした。

 帰りはハ見寺跡を経て百々橋へ下山しました。こちらも石段ばかりです。途中にあるハ見寺跡はちょっとした広場になっていて展望もありました。



三重塔






ハ見寺跡から石段を少し下ると立派な仁王門がある。

百々橋から西の湖のほうへ歩き出したが風が強く寒い、あきらめて繖山の麓にある「文芸の里」に向かう。車の往来の激しい大津能登川長浜線の県道を横断、JRびわこ線(東海道本線)のガードを抜けると安土城考古博物館のヨーロッパ調の建物がみえる。このあたりはまさに歴史回廊だ、繖山には観音寺城跡と観音寺、桑実寺や瓢箪山古墳もある。今日は時間がないため初めての信長の館を真っ先に見ることにする。



繖山
 山麓の左から「安土城考古博物館」・「文芸セミナリヨ」




安土城考古博物館:

 展示@は弥生時代から縄文、古墳時代の生活様式の再現。埴輪や銅鐸、三角獣鏡など出土品の数々は興味深い。展示Aは信長と安土城に関するもの。ワイドビジョンでの上映でいろんな知識が得られます。



安土町の文芸の郷につく。



信長の館
 
文芸セミナリヨの後ろにあります(写真左端の黒っぽい円筒状の建物です)その概観とは違い、内部に入ると原寸大のきらびやかな天主の最上階(6階)と5階が再現されている。



天主の最上階の外観(6階)




天主最上階のきらびやかな内部。その外壁には10万枚のの金箔が使われている。




 天主5階は仏教の世界観による理想郷を象徴している。宇宙空間を表す8角形、約30坪(99m2)の空間。金箔の壁と釈迦説法図の襖絵に囲まれた総朱漆塗りの床の中央に2枚の畳が置かれている。




信長の館に展示してあった信長のクラフト人形、他にも沢山ありましたよ。