旧東海道ぶらり散歩

2015・4・12(日)
 私は通常2Bの鉛筆でスケッチしていますが、強く濃く描くために擦れて画面と手が黒く汚れてしまいます。絵仲間にフィキサチーフ(FIXATIF)を使ったらとアドバイスをもらいました。ギャラリー回りのついでに草津の画材店でフィキサチーフ購入、持ち歩きしやすいハンディタイプ(100mL)はけっこう高価だ。それに枚数を描くタイプなのですぐに無くなってしまいそう(^^;)。とりあえずスケッチして試してみようと桜並木のある近くの旧草津川堤防へ向かいました。





これは2年前の桜の時期に描いた旧草津川(天井川)です。
 着いて見ると残念ながら満開期は終わっていました。おまけに堤防が工事中で絵にはならない。しかたがないので、川を渡って旧東海道へ下りていく。すぐに草津本陣があるが、描きたいアングルが見つからないのでパスする。次に訪問するギャラリーは浜大津ですが、草津駅に戻るのも面倒なので次の駅、南草津駅までこのまま旧東海道を歩いて行くことにしました。。
 
 旧東海道を道なりに歩いて行くと「太田酒造・道灌蔵」がある。ここも写真のようにきれいに改装されていて描く気にならない(^^;)。太田家は江戸城築城の祖として、文武両道に優れた武将で名高い太田道灌を祖先に持っている。太田家が酒造りを始めたのは廃藩後のこと、以後酒造りを生業として発展。今日まで酒を造り続けています。試飲してみたいが、まだ先の予定があるので、我慢して歩いて行く・・・
 

横長の建屋真中に通路がある建物や・・・

 

酒屋さんなどがある。
その酒名も旧草津川にちなんだ「天井川」だ。


しばらく歩いていると軒先に道標(石柱)のある家に出会う。
ここは矢倉の「立場」跡だという・・・・。家の壁に「立場」の説明と歌川広重の浮世絵がありました。
 
矢倉立場
 東海道五十三次の52番目の宿場・草津宿南に続く矢倉村。立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことからついた名で、矢倉村には草津名物「うばがもち」を売る店があった。歌川広重の浮世絵などにその光景が描かれています。

 また、ここからは対岸の大津へ湖上を渡る「矢橋の渡し」への道が分岐していた。浮世絵などにも描かれた道標が、今も軒先に建っている。旅人は、俗謡に「瀬田に回ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」と詠まれ、旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋を経て、船で大津へ渡るかを思案した。「急がば回れ」の語源になったところでもある。


東海道五十三次・草津
(歌川広重)


 キョロキョロしながら歩いて、結局スケッチしないまま南草津駅に着いてしまいました。次の訪問予定は浜大津近くの商店街にあるギャルリーオーだ。大津駅までJRで移動する。 商店街の中にあるギャラリーで開催中の鈴木靖将氏(日本画家)の「大津京と万葉画展」を見てから、京阪石坂線で瀬田唐橋駅へ。ギャラリー唐橋で作品展を見る。その後帰り道を唐橋を渡って、川岸を歩いて石山駅へ帰ることにしました。



 

 唐橋を渡ったところにまだ桜の花をいっぱいつけている木があったので、ここで一枚描きました。
鉛筆で描いてから購入したばかりのフィキサチーフを画面に噴霧する。その後、水彩で彩色したが濁らずに、いつもよりあっさりした絵になりました(^^)。




小さな造船所と廃船
 

漁船の船溜まり

もう一枚描きたいなあと川岸に沿って琵琶湖側へ歩いて行くと・・・
大勢の人が集っている。近づいてみると某有名大学競艇クラブの練習でした。




不安定なカヌーだから乗るのは難しいね?と聞くと・・・
これは競技用のボートだよと返事が返ってくる。
 
   
 今日が初めてボートを漕ぐという新人メンバーの練習中風景でした。さすがに新人は先輩がボートから手を離したとたんにひっくりかえって川にドボンと落ちる人が多い。それでも、初めて乗ったのにうまく漕ぎ出す学生さんもいました。川に落ちた人は川岸に這い上がってきて、びしょ濡れの体を寒さにぶるぶる震わせていました(^^)。 
 気ままなぶらり歩きでも面白いことに出会うものですね。