清酒「春鹿」醸造元


2004/11/5


小学校の同級生、奈良市在住の作曲家尾上和彦さんのオペラ「仏陀」=求道の人=が20年以上7回もの改訂を重ねて完成版を初演するという知らせを受けて11月5日奈良市へ出かけました。開場の18時30分まで時間があるので奈良町を散策して、南都十輪院近くの春鹿醸造元の今西清兵衛商店と隣設する今西家書院(重文)を見学、スケッチ&きき酒を楽しみました。




南都十輪院と背中合わせの春鹿蔵元と今西家書院(重文)





創業明治十七年の「春鹿」の醸造元
今西清兵衛商店



こんな落着いた雰囲気の中で、きき酒ができます。

奈良は日本酒発祥の地だそうです。この奈良市で今西商店は明治17年より酒造業を始めた。
酒名の由来は、春日大社に仕えていたことと、春日の神々が鹿に乗ってやってきたという伝説から、「春日神鹿」(かすがしんろく)と名付けられて、後に「春鹿」(はるしか)に改められました。

南都諸白(なんともろはく)
 酒の製法が中国から伝わったのはかなり古く、米や麹を使った製造方法は現在の清酒とはかなり違うものだが、弥生時代中期には存在していたとも云われている。平安時代の書物(延喜式)には当時の日本酒の製法が記されていて、清酒の製法が確立していたようだ。しかし、その原材料は玄米で一部白米を使う手法だった。現在のように白米のみを使うようになったのは室町時代、奈良(南都)興福寺の僧坊で考案された。それは諸白造りと呼ばれ、それまでの酒をはるかに上回る良質のものでした。・・・・

・・・今西清兵衛商店のパンフレットより一部転載させて頂きました。・・・


きき酒



この日いただいた5品種のお酒と特性の盃
@純米 「超辛口」
A純米生酒 「生がこい」
B純米吟醸 「封印酒」
C純米生詰 「ひやおろし」
D純米 大吟醸
ただし、季節によってきき酒の内容とグラスの色が変わります

大吟醸も頂けて400円は安いよ!
盃もおみやげに頂けます。




親切に春鹿の説明してくれたお店の人
きき酒の結果、
偶然ご一緒させてもらったご婦人お二人は大吟醸がお気に入りでした。
私はどれも美味しかったので手ごろなお値段の@純米「超辛口」とB純米吟醸「封印酒」を購入しました。
オペラのリハーサルのときに「超辛口」は尾上君に差し入れしました。

いま、よく冷えた「封印酒」を頂きながらこのページを編集しています(^_-)
春鹿の説明不足は春鹿醸造元の今西清兵衛商店のホームページをご覧ください。クリックシテネ!!



春鹿醸造元に隣接する今西家書院も見学しました。
今西家書院は永く興福寺大乗院家の坊官を努められた福智院氏の居宅を大正十三年に今西家が譲り受けました。一説には大乗院の御殿を賜わり移建したとも伝えられています。昭和十二年八月二十五日、京都の二条陣屋、大阪の吉村邸と共に民間所有の建造物として初めて国宝の指定を受けました。




長屋門







切妻造檜皮葺き(檜の皮を幾層にも重ね合わせている)と入母屋造軒唐破風(唐破風:中央部は弓形で、左右両端が反り返った曲線上の装飾板)。


書院(上段の間):室町当初は一つの板敷きの間で接客や謁見・会議や書類の作成等他目的に使われました。江戸以降、床の間を造り畳を敷きました(御殿敷き)が、元の姿に戻せるよう鴨居も敷居も取り外す事ができます。





南都 十輪院
十輪院は元興寺旧境内の東南隅に位置する。
奈良時代の僧で書道の大家、朝野漁養の開基といわれている。本堂は軒や床が低く、当時の住宅を偲ばせる建造物です。この本堂(国宝・鎌倉時代)の中には本尊である地蔵菩薩を中心にした石仏龕(重文・鎌倉時代)を祀る。そこには釈迦如来、阿弥陀如来の諸仏の他、十王、仁王、四天王や北斗曼荼羅の諸尊などが刻まれ、非常に珍しい構成を見せている。
境内には漁養塚、十三重塔、興福寺曼荼羅石など多数の石仏が点在していました。





奈良町の庚申
独特のお守りが奈良町の家々の軒先にぶら下がっています





なら100年会館側から夕闇迫るJR奈良駅裏側の風景えお撮影しました。左の建物は三井ガーデンホテル奈良を離れて約30年、この辺りはすっかり昔の面影がありません。

開演よりちょっと早く会場に着いたので、尾上君の熱の入ったリハーサル風景を見せてもらいました。その後同級生と一緒にオペラ仏陀の鑑賞しました。終演後友人達と一杯やりながら談笑して帰宅しました。