白鳥川沿いを歩いて八幡掘へ
(滋賀・近江八幡市)
2017・4・29

 近江八幡市永原町にあるボーダレス・アートミュージアムNO-MAより今日から始まるという”HELLO 開眼”展の案内が届いたので出かけました。何度も訪れている近江八幡市、たまには違った道を歩こうと駅前大通りから西へ400m、白鳥川の堤防道を歩いて八幡掘りへ向かいました。



白鳥川に着くと沢山の鯉のぼりが・・・
菜の花も咲いていて川辺はきれいだ。


琵琶湖岸へ向かって気持ちの良い歩きがつづく
やがて八幡山が近づいてくる。


朝鮮人街道に出合う
 川沿いの道を20分ほど歩いた所で、白鳥川から離れて八幡山方向へ。そこで出会った「小船木町・朝鮮人街道」の案内板に魅かれてこの道を行くことにする。


 道なりに10分ほど行くと、このお堂があり、願成就寺車登り口とある。小高い山の上みたいなので興味をひかれたが、この先に参道がありそうなのでここはパスして先へ進む。

・・・・ 朝鮮人街道とは ・・・
・近江の国(滋賀県)に存在した近世の脇街道です。彦根道、京道および八幡道の異名があるそうです。中山道(上街道)との比較で下街道・浜街道、あるいは朝鮮人道、唐人街道などともいう。 徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した後、佐和山より永原に至り上洛凱旋する際この道を通り、縁起が良い道とされ、以降将軍上洛の度に用いられた。沿道には永原(永原茶御殿)と神崎郡伊庭(現東近江市)に将軍休息所を設け、将軍専用の道とされ参勤交代での大名の使用は認められなかった。 将軍以外では唯一朝鮮通信使の通行が認められていたため、この道は「朝鮮人街道」と通称されるようになった。
(ウィキペディアより概略を抜粋)




比牟礼山「願成就寺」


石段を上がると広い境内だ。そこにある木の中地蔵尊堂
 願成就寺入り口には「木の中地蔵尊」、「四国八十八カ所霊場」、「湖東名刹二十七霊場第二十一番」、「びわこ百八霊場第七十四番」など沢山の案内札がある。先を急ぐこともないので訪問することにしました。
  

願成就寺本堂
 言い伝えによると、近江に48ヵ寺を建立した聖徳太子が最後にこの寺を建てたとされ、願いが成就したことにより寺名になったとされる。十一面観音像をはじめ重要文化財額も数多い。(びわこビジターズビューローHPより)
 本堂後ろ側の山に四国八十八カ所霊場がありました。

 

菜の花畑と近江富士
四国八十八カ所霊場回りから脇道を下るとここに出た。

 

 願成就寺がある山麓を回って行くと反対側はこんな岩肌が露出した場所になっていました。この傍に何かの建物(施設)とレンガ造りの巨大な煙突が見える。


 建物に沿って回り込んでいくと八幡山が間近に見える。施設は「一善会老人ホーム赤煉瓦の郷」でした。ここは以前にレンガ造りの巨大な煙突に魅かれて訪れたことがあります。煙突に付随するレンガ造りの構造物はレンガを焼いた炉です。以前い訪れた時は、朽ちて崩れかかったレンガ造りの工場建屋もありました。


 見えていた大きな煙突とレンガを焼いたという炉です。後方見えている山肌が露出している山は先ほど登った願成就寺がある山です。
  

「ホフマン式輪窯」と呼ばれる窯と煙突
 ここは中川煉瓦製造所の旧煉瓦製造所だったそうです。ここに残っているホフマン窯とは、ドイツj人のフリードリッヒ・ホフマンが発案した窯で、現存するホフマン窯のなかでも旧中川煉瓦製造所のホフマン窯は最大規模を誇るとか。旧・中川煉瓦製造所はこのホフマン窯によって明治末頃から1967(昭和42)年6月まで煉瓦を焼成していた。この炉についてはネットでチェックした程度、知識はほとんどもっていません。隣接の福祉施設「赤煉瓦の郷」に申し込むと炉内を見学できると聞いたことがありますが、私はまだ見学したことはありません。


こんな寄り道をしながら八幡掘りに着く。
  

八幡山と八幡掘
 

八幡掘
観光シーズンなのでけっこう観光屋形船が往来している。



 


八幡掘風景
休憩を兼ねてゆっくりと描きました。


今日の目的は永原町にある「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」です。

詳しい内容と案内は
アートミュージアムNO-MA をご参照ください。
 

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
 滋賀県近江八幡市の歴史ある重要伝統的建造物群保存地区にあり、昭和初期の町屋を和室や蔵などを活かして改築し、2004年6月に開館しました。滋賀県社会福祉事業団が運営するミュージアムです。
 

今回のイベント案内
 

作品展示と会場風景
   
暇なスケッチ趣味人には、こんな発想はできません(^^;)。