「始皇帝と大兵馬俑展」を見に行きました

2016・10・1

  中国蘇州の旅へ出かけたのがきっかけで、大阪中之島の「大阪国立国際美術館」で行われている「始皇帝と大兵馬俑」展を思い出す。10月2日(日)までということで急遽出かけました。休日とあってけっこう混み合っていてゆっくりとは見れませんでしたが、なんとか本物を鑑賞することができました。


 

兵馬俑展の入場券です。
 

国際美術館の展示は地階エスカレーターで下っていく。
ここから写真撮影禁止でした。

以下の写真は会場出口に設けられた
写真撮影コーナーでの写真です。

 
 この展覧会では、世界文化遺産の秦始皇帝秦俑博物館の兵馬俑のパノラマ写真で見ていたような約8000体の俑の規模は味わえないが、間近に「・武士俑(兵士俑、歩兵俑)・御手俑(御者俑)・跪射俑・将軍俑(兵馬俑としても数が少なく、出土したものは10件に満たない。)」像と二つの銅馬車:始皇帝が実際に乗ったと考えられる馬車を青銅で細部まで再現した模型(複製品)が間近で鑑賞できました。
 
 

写真撮影コーナーでの写真です。

 

写真撮影コーナーでの写真です。

白く映っている像は、フラッシュのためです。
フラッシュ禁止でしたが混雑にあわてて自動設定のまま撮ってしまいました。



 その他の展示、出土した重りや量り、秦公鐘、玉胸飾り、玉剣と鞘などが展示されていましたが混雑のためゆっくり鑑賞できませんでした。
(参 考)

  兵馬俑(へいばよう)
 古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったもの。狭義には陝西省西安市臨潼区の秦始皇帝陵兵馬俑坑出土のものを指す。古代中国の俑は死者の墓に副葬される明器の一種であり、被葬者の死後の霊魂の「生活」のために製作された。春秋戦国時代には殉葬の習慣が廃れて、人馬や家屋や生活用具をかたどった俑が埋納されるようになり、華北では主として陶俑が、湖北湖南の楚墓ではとくに木俑が作られた。兵馬俑は戦国期の陶俑から発展したものだが、秦代の始皇帝陵兵馬俑においてその造形と規模は極点に達する。漢代以降も兵馬俑は作られたが、その形状はより小型化し、意匠も単純化されたものとなった。

秦(しん)
  紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦代と呼ぶ。国姓は嬴(えい)、又は趙[1]。統一時の首都は咸陽(かんよう)。
始皇帝(初代皇帝)は紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げると最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。

(出典:ウイキペディア)