さつき寺の別称で知られる雲迎寺
2006・6・14


 
 通称「さつき寺」として知られる日野町音羽の浄土宗雲迎寺(うんこうじ)で、色鮮やかなサツキ約1000本が花をつけ、訪れた人を魅了している。という新聞記事(朝刊)を見て、スケッチ道具を持ってさっそく出かけてきました。
場所をgoogleマップで確認したら日野から土山へ向かう分岐のそばだ。ここは綿向山への分岐の近くでもある。行き過ぎたら音羽城跡があるのですぐわかるだろう。



浄土宗雲迎寺

当寺は南にそびえる宝殿ケ岳(猪鼻が岳)山頂に祭られていた神社の別当寺だったと伝えられる。蒲生氏の支流音羽氏との深い関係を持つことからしても、音羽城を本城とした蒲生氏との強いつながりを持った寺院と考えられ、境内に南北朝時代の貞和5年(1349)の刻銘がある宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。更に徳本上人名号碑や鉄火裁判記念碑、千体地蔵なとがあり、さつきの開花期は訪れる人が多い。(雲迎寺の案内板より転載)




小さな門をくぐると、右側にサツキがつづく




本堂前から刈り込まれたサツキの庭を見る




サツキの庭から本堂を見る

いつも思うことですが、新聞などに載った記事を見て行ってみると、ややピークを過ぎています。
雲迎寺のサツキもそんな状態でした。



スケッチするにしても今日は真夏のような暑さであきらめる。
日野で近江商人で有名な丁稚羊羹と日野菜漬けを買って帰途に着く。帰り道を変えて近江八幡へでて国道8号線でかえろうと運転していると、岡本で見覚えのある薄緑色の洋館の「ガリ版伝承館」が目に入る。昨年からオープンは土日にかわっているが、スケッチをしようと立ち寄ってみる。ちょうど伝承館のドアー開いている。準備作業中の人がおられて、幸運にも中を見学させてもらえました。洋館の横の本宅には大きな部屋があり、ちょうど寺子屋のような形でガリ版の体験ができるようになっていました。展示館のこの洋館は明治時代の建物でガリ版製作者の堀井家の自宅だったと聞きました。

万葉集で歌われた蒲生野や戦国武将蒲生氏郷で知られる歴史のある蒲生郡蒲生町が、今年度より東近江市となり、その名がなくなりちょっと寂しいです。数少ない蒲生の名が残っているのがここ、東近江市蒲生岡本町です。


 

ガリ版伝承館


 堀井新治郎父子は赤貧洗うがごとき暮らしの中、大変な努力の末、
明治27年(1894年)「謄写版」こと「ガリ版」を発明しました。そして、新
治郎は38代受け継がれてきた近江の商家としての堀井家すなわち近
江商人魂を発揮し、明治の事務現場の改革という強い信念により、ま
たたく間に世間に広め、日本だけでなく、韓国、中国にも広げました。(こ
の時、父新治郎38歳、子耕造19歳。)
 そして、それから70年間、新治郎のガリ版は、みんなに愛され続け、
通信手段としてのガリ版だけでなく、孔版美術としての芸術分野でも
大きく開花しました。
 ガリ版と聞くだけで、物が無かった時代を思い出します。物が無く
ても幸せだった。そんな文化を様々な芸術を通して表現していきたい
思いからヽこのガリ版発祥の地を拠点に発信していこうと思います。
 どうかヽ(仮称)ガリ版芸術村実現に向けて、多くの方々のご意見を
お待ちしています。
   (岡本夢プラン委員会の案内板をそのまま転載させてもらいました。)

以前に大津の淡々美術館で多色刷りの浮世絵やカラフルなポスターを見たときの驚きがよみがえってきました。機会があれば体験教室に参加してみようと思っています。