蒲生野の里山


猪ノ鼻ガ岳508m
(2002・11・29)


 今日は久々にいい天気、膝をいためてからおとなしくしていたが散歩程度ならと思い、日野町鎌掛にある猪ノ鼻ガ岳へ出かけました。鎌掛は5月初旬シャクナゲ群生地でにぎわう所ですが、今はシーズンオフ静かな山登りができるだろう。

 山溪の分県登山ガイド「滋賀県の山」を参考に登ることにする。ガイドブックでは東海道線のJR近江八幡駅から北畑口行きバスで上音羽下車、音羽城趾経由して鎌掛峠を越えてシャクナゲ渓にはいるとある。今日は3時間ほどしか余裕がない、まず車を音羽城趾で止めて散策してからシャクナゲ池に向かいました。出かけるのが遅く鎌掛のシャクナゲ池(シーズン中車はシャクナゲ渓入り口までです)12時に到着しました。


音羽城趾より見えた猪ノ鼻ガ岳(左)と音羽城趾の散策コース入り口

上音羽より鎌掛へ向かう道路は集落の中で迷いやすい。瓢箪池の手前の広い空き地に車を止めて音羽城趾へ



音羽城跡の話(城跡の石碑より転載)
 
 宝殿ヶ嶽(猪ノ鼻ガ岳)を背後に控える天嶮のの要害であるこの音羽城は、中世日野の領主であった蒲生氏の本城であった。
 応仁の乱(1467)直後の頃に築城され、近江の守護職佐々木氏との関連で、明応、文亀の両度の合戦に大勝し城主蒲生貞秀の名を高めたが、貞秀没後に起こった蒲生氏同族間の争いにより、八ヶ月間に及んだ悲惨な篭城戦の末に、大永七年(1527)の春、城主秀紀が攻めての将である叔父高郷の軍門に降り、直ちに城郭は破却されて五十数年の城の歴史が閉ざされた。ちなみに、戦国の英傑として名高い蒲生氏郷は、音羽城を落城させた、高郷の曾孫にあたる。



 城跡は、明治後期の公園整備や昭和期の未墾地開拓等々で大きく人手が加えられたが、中世特有の山城としての遺構はよく残され、深井戸、抜穴跡等々に見るべき遺構も多く、郷土日野の特産物である日野菜の栽培が、この城中に於てが最初であった故事などを含めて、この城跡は日野が誇る偉大な歴史遺産である。

   上の写真は音羽城趾は小高い丘の上にある。写真は8倍ズームのデジカメで撮ったブルーメの丘


瓢箪池に映る猪ノ鼻ガ岳(このアングルはガイドブックと同じところです)


鎌掛峠の手前からの竜王山と綿向山(1110m)


シャクナゲ渓からシーズンオフなのでこのシャクナゲ池まで乗り入れる。散策コースもあり歩くと20分くらいかかります。写真(左)の東屋の後ろに車を止めるスペースがあります。数人の釣り人が糸をたれていただけ、時間が止まっているようなとても静かなところです。
登山口は橋の手前(右の写真)で、シャクナゲ見物遊歩道になっている。


12:15シャクナゲ池出発。登山口よくわからず林道に沿ってどんどん進むが見つからない。ガイドブックよく読むとシャクナゲ見物の遊歩道から入るとある。仕方なく戻る、10分ほどのロスだ(^_^;)。
上の写真(右)には大きな遊歩道のカンバンがあった。この道はシャクナゲのシーズン何度も歩いている。遊歩道の終点をガイドブックにしたがい直進する。落ち葉と雑木で道もわかりにくいが木々に赤いテープが巻きつけてあるのでそれを頼りに登っていく。
12:57 林のなかの急登を落ち葉で足を滑らしながら宝殿林道口(林道)に飛び出す。ここから曲がりくねった林道を鞍部まで歩く、ここにある猪ノ鼻ガ岳へ登山口(北側にある)は注意していないと見過ごしてしまい砥山へ向かってしまう。
今までと違いはっきりした尾根道を進むと峠に出会い尾根道が消える。右へ下り落ち葉でわかりにくい道を注意しながら進んだが途中でルートを見失う。猪ノ鼻ガ岳の直下にきているのだが時間切れで引き返さざるを得ない。時間があればルートを探して鎌掛峠周りで一周したかったのに残念だ。
 
 来た道を引き返し、シャクナゲ池のほとりの陽だまりの中で遅い昼食をとる。
14:30名残惜しいが仕事先へ向かいました。





       宝殿林道から見える砥山(615m)