”草津線の歴史を歩き・学ぶ”に初参加

(2017・4・20)
 『びわ湖鉄道歴史研究会』主催の”草津線の歴史を歩き・学ぶ”というフィールドワークに初参加させてもらいました。現役の時、通勤に時々使ったJR草津線は開業128年という。今回は甲南駅からスタートして、三雲駅に向かって歩き、レンガ積みのアーチ橋を訪ねてきました。




JR甲南からスタート


今日歩いたルートです。
 

駅から約20分、矢川神社着く。石橋と楼門
 

矢川神社の本殿



この神社に立ち寄ったのは、
この先にある八坂神社秘蔵の貴重な絵馬をここで見せてもらいながら、解説を聞くためです。

  

八坂神社秘蔵の絵馬
 関西(かんせい)鉄道開業直後の明治23年7月に奉納された貴重な絵馬です。絵馬の右側に氏名、出身地が描かれている工事関係者によって奉納されたと思われるものです。絵馬は普段収蔵庫に保管されていますが、この日は関係者のご尽力により地元のご理解が得られたため特別に矢川神社の社務所での見学が叶いました。





矢川神社境内の杜を抜けて八坂神社に向かう。


この杜にもうシャクナゲが咲いていました。 


左手に飯道山を見ながら草津線沿いの道を行く。


草津線の向こうに八坂神社が見えてきた。
 八坂神社で休憩&昼食タイムその後参加者28名で記念撮影。




草津線に沿って貴生川駅手前の御庄野橋梁を目指す。


みんなで畦道歩き・・・


あぜ道には可愛い草花が咲いていました。




御庄野(ごしょうの)橋梁に着く。
 河岸段丘により出来た高低差を解消する為に作られた築堤に建設された煉瓦造りの橋梁です。


JR貴生川駅に着きました。
この駅には信楽高原鉄道と近江鉄道が乗り入れている。


菜の花が綺麗な杣川
貴生川駅から三雲へ向かう杣川沿いの道を行く。
 貴生川駅で休憩した後、関西鉄道の社門が入った明治の鉄道遺産、レンガ積みの国分橋梁を訪ねます。その場所は草津線の貴生川-三雲間にあります。


 


 三雲駅方面へ杣川沿いの道を行く。JR草津線の鉄橋が架かっているこの杣川風景が気にいったので、皆さんにおいて行かれないように早描きスケッチをしました。が・・・帰宅してから加筆してコテコテのこんな絵になってしまいました(^^;)。


この一枚は鉄橋の傍まで行った時、
ちょうど柘植方面行の電車が来たので写真を撮っておきました。

 

帰宅してから写真を見て描いた作品です。
前の一枚の反省を込めて、あっさり彩色しました。



 貴生川から草津に向かう電車は杣川を渡りますが、杣川の堤防から次の切通しまでの高低差を解消するためにここでも築堤が築かれており、その途中に建設されているのが新道橋梁と国分橋梁です。


草津方面行の電車が行く。
この線路沿いに新道橋梁と国分橋梁があります。


新道(しんみち)橋梁
ここでリーダーの方から説明を聞く


次は少し先にある国分橋梁へ・・・
 

国分橋梁の前で電車にも入ってもらって記念撮影。
 今回見学した3つの橋梁の中では最も規模が大きくい。この橋梁には関西鉄道の社紋が作り込まれています。(※この写真は『びわ湖鉄道歴史研究会』さんの許可をいただいて掲載させてもらいました。)


記念撮影した反対側です。 


トンネルの上側にある関西鉄道の社紋


貴生川駅へ戻る途中にあった石碑
この杣川も氾濫することがあったのだなあ。 



貴生川駅
 草津行き電車を待っていると信楽高原鉄道の車両が入ってきた。
   
ボディには忍者のイラスト入り、その列車名は”忍”号
”SHINOBI-TRAIN”と書いてありました。甲賀忍者の里を走っているからか・・・
橋梁訪門からはちょっと脱線です(^^;)。



この日の最後の訪問は甲西駅近くにある造り酒屋「北島酒造」さんの見学でした。

 

北島酒造
旧東海道沿いにあります。


 『びわ湖鉄道歴史研究会』の活動は… 
 鉄道建設の歴史の背景をその建設に関わった人物を織り交ぜながら経済・経営史や技術的な観点から考えたり、路線ルートや駅の立地を古い地形図を使って現地を訪れるフイールドワークです。

   ※今回参加でもらった資料に・・・
 かって草津線は、お伊勢参りの乗客や名古屋方面への乗客で賑わっていたいう。戦前から1960年代にかけては参宮快速と呼ばれた姫路-鳥羽間の直通列車が運転され、その後も急行「志摩」や京都-名古屋間の急行「平安」、南紀へ向かう急行「くまの」が国鉄末期に廃止されるまで走っていたという。特に戦前の草津線は参拝路線として位置づけられていました。