京都大原 寂光院
2010・10・22
久々にぶらっと大原散策して寂光院を見学してきました。
電車で行くと京都駅からでバスで約1時間、とても遠く感じるが・・・
自宅のある守山市からは車だと便利で、琵琶湖大橋を渡って途中越えすると大原の里になる。
駐車無料の「里の駅 大原」へ止めさせてもらって散策に出かけました。



大原の里
京都市街方面
午後から出かけたので右上図の赤線を歩いて寂光院へ。三千院へは行きませんでした。
国道367号線は車が多いが田園の中の道は静かで歩きやすい。のんびりと一枚スケッチする。





大原野里から比叡山を望む




静かな大原の里風景
寂光院への道


大原味噌のお店
三千院への道にはみやげ物店などがいっぱい
あるが、こちらは数店あるだけ。ウイークデイの
ためだろう。静かなものでした。



寂光院前のお店

直進すれば金毘羅山へとつづく。以前に何度か歩いた
道だ。寂光院の入り口はすぐ右にある。


寂光院
寂光院は天台宗の尼寺(山号は清香山、寺号は玉泉時)です。
推古二(594)年に聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立された。本尊は太子作と伝えられる六万体地蔵尊であったが、平成12(2000)年5月9日火災により損傷する。現在は復元された本尊が本堂に安置されている。平成17年6月2日に本堂落慶ならびに本尊開眼供養が催行された。幸いに焼損した旧本尊地蔵菩薩立像は重要文化財指定を解除されることなく、今は境内の奥深く二ある収蔵庫に静かに安置されている。今回は特別公開でこの旧本尊を拝観できました。



料金所からつづく石段の途中にある茶室(狐雲)
木々もちょっぴり色づきはじめている。



石段の終わりにある本堂入り口の門


                           寂光院第三代尼僧 建礼門院徳子

 『平家物語』は源平の騒乱における多くの英雄と、そして敗者を描いている。闘う男たちの陰には、多くの女人たちがいた。悲劇のヒロイン建礼門院徳子もそのひとりである。権勢を誇った平清盛の二女に生まれ、高倉天皇の中宮となって御子安徳天皇を生んだ。絶頂の日々もつかの間、源平の争乱が勃発するや、五歳の安徳天皇を奉じて平家一門とともに西国に逃れ、ついに文治元年(1185)三月長門壇ノ浦で平家軍は義経軍に敗れた。女院は安徳天皇とともに入水したが、一人助けられ京都に送還された。
 同年5月、建礼門院は東山で落飾、法名を真如覚と名乗った。秋も押しせまった9月末のこと、憂きことの多い都を遠く離れた洛北の地寂光院に閑居し、昼夜念仏を唱えて、夫高倉天皇とわが子安徳天皇の菩提を弔う日々を送った。

                     ・・・・ 寂光院のHPより転載させてもらいました ・・・・ 


再建なった寂光院の本堂


本堂横にある「四方正面の池」
前回訪れたときはまだ復元工事中で境内には入れただけでした。
今回は思いつきで訪問したが復元なっていてラッキーでした。