鷲峰山登山と金胎寺
じゅうぶさん (標高 686.7m)
京都府綴喜郡宇治田原町
2015・3・28

 この日、義母を京田辺まで送った帰り道、宇治田原でスケッチをしようと 宇治田原町総合文化センターの駐車場に車を置いて散策に出かけました。しかし、スケッチより20年前に登った鷲峰山が思い出されて急遽鷲峰山に登ろうと決める。国道307号沿いのラーメン屋さんで腹ごしらえして出発・・・。



国道沿いの東屋のある所に宇治田原町の案内板がある。
そこに案内されていた「鷲峰山登山道」を参考に登ろうと決める。
ルート図をメモして 12:00 出発する。

 
地図上の赤ラインはこの日歩いたルートです。
立川の大道寺地区は、古くから鷲峰山への登山口となっている。
   
ここは宇治茶の茶所、茶畑のある田園風景を眺めながら道標に導かれて進む。
この道は古くからの参拝道で、丁石などが残っている。いまは自然を楽しめるハイキングコースと
案内板で紹介されていました。

 

12:17 鷲峰山が見えてきた。
頂上は稜線がつづいているなだらかな形なので、どこが最高峰なのか判断がつかない。
距離からして2時間くらいかかりそうだ。今日はお天気も良いし暖かい、
往復4時間としても十分時間があるから安心だ。
 

12:28 大道寺に着く。
・・といってもこの小さなお堂があるだけでした。このすぐ先には大道神社の鳥居が見えている。奈良時代に山岳修験の道場として開かれた金胎寺の北側登山口として、早くから開かれた地に天平勝宝8年(756年)鷲峰山中興の越知泰澄大師が開基、大伽藍も配置されていたという。

 

信西を供養した宝篋印塔(信西入道塚)
 大道寺の向かいに、この塚がありました。大道寺は平治の乱で殺された信西の所領となったことがある。信西は俗名を藤原道憲と称し、「本朝世紀」「法曹類材」などが著した学者で、平清盛と結んで権勢をを誇った。平治元年(1159年)12月清盛の熊野参拝中、対立者の源義朝は兵を挙げ、信西は信楽に逃れようと宇治田原まで来たがこの地で自害したと言われる。(平治の乱)
 

大道神社
先が長いのお詣りはパス、舗装路をそのまま進む。

 

12:07 舗装路から登山道へ
 大道神社から5分ほどで林道から分岐して右へ、鷲峰山登山道に入って行く。
 

五丁と刻まれた丁石
ここから林道の登り坂になる。

 

林道がつづく。
 20年前はこんな林道はなく樹林帯中の登山道だったように記憶している。
 

   12:57 これが20年前の登山記録に
書いていた休憩所だろうか?

 

13:03 分岐出合い
樹林の中へ入って行く旧道がある。
道標は林道を進むようになっている。
 

13:28 休憩所とトイレのある広場に着きました。
 宇治田原から歩きだして1時間半、ちょっと疲れたので一休みしようと思ったが、案内板を見ると頂上までまだ30分はかかりそうだ。休憩は諦めてもう一頑張り、先へ進むことにする。
 鷲峰山は、大和の「大峰山」とならぶ二大霊峰の一つで、頂上には7世紀の終わり頃、「役の小角」(えんのおずぬ)が開いた金胎寺があります。聖武天皇が病気のとき全快を祈願し国家を守るための勅願寺となりました。その後伏見天皇が退位後この寺にきて僧侶となり、伽藍や多宝塔(重文)を建立し、現在に至っています。
 

13:51 金胎寺への道分岐に着く。
ここから林道から離れて金胎寺境内へ登って行く

 

金胎寺の山門
 山門をくぐると寺務所があり、ここから 行場巡りをすることができるが時間がないのでパスしました。
 

境内にあった金胎寺境内図に導かれ
山門を出て本堂へ向う。
 

本堂(弥勒堂)

 

本堂、多宝塔、行者堂などがある境内
山の上の境内はわりと広い場所なんだ。




 

行者堂
 山岳信仰の拠点として栄えた金胎寺境内にある役行者をまつる行者堂です。その前の護摩壇で毎年9月の第一日曜日に開催される護摩焚きには近隣の山伏や麓の宇治田原と和束の真言宗寺院の僧侶が参加するそうです。
 

伏見天皇によって建立された多宝塔
(1298年 重文)
 伏見天皇の守り仏「愛染明王像」が安置されているという。毎年9月の第一日曜日、護摩法要のときに一般開放されるそうです。多宝塔の左から裏へ、 最高峰へ登って行く。
 

宝篋印塔
高さ 2.85m
(重要文化財)
正安二年(1300年)作






空鉢(くはち)の峰伝承
 かつて北斗星の拝所であった鷲峰山の山頂は「空鉢の峰」と呼ばれ、その由来となった伝承があります。むかし、山頂で修行していた泰澄法師が、空の托鉢を空中に浮かび上がらせて麓の村まで飛ばすと、食べ物を乗せて戻ってきました。そのため山頂の峰を「空鉢の峰」と呼ぶようになったといいます。



 

  休憩しながら多宝塔を描いていたら、一人の男性登山者が登ってこらてた。その方は鷲峰山に何度も来られているという。彼は私と同じ宇治田原からの鷲峰山登山道を登ってきました。早くに出発されて行場めぐりもされたという。私のように思いつきで、それも午後からの登山では頂上往復するだけです。彼は東海自然歩道を和束町の原山へ下山するという。はじめての道なのでご一緒したいが、車があるので宇治田原へ下山するしかない。それでも同じ道を歩くのはつまらないので別道、湯屋谷コースの状況を教えてもらい安心してこの道を下る選択をしました。


 湯屋谷コースの下り口は・・・
本堂の右側から奥に入って行く、道は聞いたとおりはっきりしている。樹林の中の道を下るとすぐに林道に出る。そこから道案内に従って、舗装路を100m歩き、左の樹林帯へ下っていく。下山道に入る所から真上を見ると大きな中継塔がある。ここから尾根道を一直線に下っていく。鷲峰山はなだらかな稜線がつづくフラットな頂上なので、下から見るとどこが最高峰なのかわかない。この中継塔で下山途中からも、下山してからも最高峰(頂上)の位置がよくわかりました。
   
 湯屋谷コースは 尾根道を一直線に下っていく。ところどころ倒木などで荒れてはいたが、はっきりしていて迷うことはありませんでした。往路鷲峰山登山道を登ったが、味気ない地道の林道とは違い、登山道の感じがして下山道をこちらにしてよかったです。
 

下山道から望める鷲峰山の頂上(中継塔の右)
 

下山道の終点は茶宗明神社(大神宮社)でした。
湯屋谷地区には「永谷宗円生家」と「茶宗明神社」がありました。
 

湯屋谷集落へ下っていく。
 

永谷宗円生家(町指定文化財)
  宇治田原町は、永谷宗円が青製煎茶製法を広めたことにより、「日本緑茶発祥の地」といわれています。
 

湯屋谷集落を振り返る。


 

 湯屋谷集落を抜けた所から振り返ると、いま下ってきた鷲峰山の頂上(中継塔の右)が見えている。
 

15:36 国道307号線が見えてくる。
 湯屋谷から国道303号に出て、宇治田原の細長い町の国道沿いになが~いなが~い歩きになる。
 

16:22 ゴールの宇治田原総合文化センターに着く。
 思いつきの登山、スニーカーは履いていたけど、舗装路歩きはけっこう足にこたえました。