2005・9・8
JR加茂駅より木津川を渡って海住山寺のある小高いところまで登り、帰り道恭仁京跡から恭仁神社を回って加茂駅に戻るというコースを歩いてきました。 |
![]() ハンディGPSの軌跡 約12km |
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恭仁宮大極殿と山城国分寺跡 この場所は、天平十二年(740)十二月十五日に、聖武天皇が「恭仁宮に幸す」と宣言して、平城京(奈良)から遷都して来たところで、恭仁京と呼ばれました。 聖武天皇が恭仁京に遷都された理由は明らかでありませんが、北に急峻な山地をいただき、南に平野がひらけてその中央を泉川(いずみ:木津川)がゆったりと流れる瓶原(みかのはら)の環境も無視できない重要な要素でした。「万葉集」には、新しき都を讃める歌が収録されています。 三香の原(みかのはら) 布当(ふたぎ)の野辺を 清みこそ 大宮ところ 定めけらしも(1051) 咲く花の 色は変わらず ももしきの 大宮人ぞ たち変わりける(1061) このように新京を詠んだ歌には、季節によって移ろう景観の美しさや「泉川」と呼ばれた木津川の清流に心ひかれたものが多いようです。(加茂町教育委員会) |
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![]() 商店街の通りを真っ直ぐに進むと木津川の堤防に出ます。恭仁大橋の背後の小高いところ、流岡山には東大寺大仏殿の建立にまつわる伝説があるそうです。 |
![]() 恭仁大橋から見た木津川の流れ |
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![]() 恭仁大橋を渡ったところから左折、堤防道に入る。 |
![]() 堤防道から田んぼの中の通学路で海住山寺に向かう。 |
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![]() 海住山寺へつづく通学路 |
![]() 民家の間の細い道を過ぎると幅広の急なコンクリート道になる。 |
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![]() 海住山寺へはまだまだ急阪が続きます。道は右手の石碑がある方向に曲がっている。 |
![]() 帰路はここまで戻り、左の写真のガードレール左端から茶畑の横の細い道を下ることになります。その方向には恭仁京跡が展望できました。 |
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恭仁京の中心は天皇の住まいや国の行政官庁が入っていた恭仁宮が設けられ、宮の中央に国政をつかさどる建物が配されました。そこには平城宮から移築された大極殿がそびえ、天平の甍が輝いていたのです。現在、恭仁小学校の裏にある土壇が恭仁宮大極殿の跡で、昭和五十一年(1976)京都府教育委員会によって発掘調査が実施されました。 恭仁宮はわずか三年余りの短命な都でしたが、この大極殿をはじめ、恭仁宮の中心部はのちに山城国分寺として再利用されました。大極殿(国分寺金堂)跡の東側は、国分寺の鎮守社として祀られていた御霊神社の境内地だったところで、永年地域の氏神として信仰を集めていた杜には楠や椿が繁茂して、大極殿跡とともに歴史的な景観を保っています。恭仁宮跡の発掘調査は、昭和四十九年(1974)より京都府教育委員会によって行われ、平成八年(1996)には宮址が確定しました。 (加茂町教育委員会より) ![]() 加茂町の展望(海住山寺への道から) 背の高いビルの右横がJR加茂駅、恭仁京跡は右端に見えます。 浄瑠璃寺や岩山寺のある当尾の里(石仏めぐり)加茂駅の後方になります。 |
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![]() 最初に出会う山門 海住山寺本堂へは道なりに300mほど進む |
海住山寺 加茂町の北、瓶原(みかのはら)地区の山の中腹にあります。天平7年(735)、聖武天皇の願いにより東大寺の良弁僧正が開創したと伝えられています。 |
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![]() 海住山寺の正門と会談 |
![]() 正門越しに本堂を見る |
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![]() 五重塔 建保2年(1214)に、慈心上人によってつくられました。昭和38年(1962)の解体修理にあたり、初重の屋根の下に裳階が復元され、現存する五重塔では海住山寺と奈良の法隆寺にしかない特徴です。 |
![]() 本堂 |
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![]() 海住山寺の少し上の広場よりの展望 手前に見えるのが加茂町の町並み、その右手が恭仁京跡です。 中央の小高い山の向こうが奈良市街になります。双眼鏡で見るとドリームランドが確認できました。 |
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![]() 正面に恭仁京跡が近づいてきた。 |
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![]() 大極殿跡 |
![]() 国分寺跡(塔跡) |
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![]() 恭仁小学校 なにやら懐かしい木造の校舎の後ろが大極殿跡になります。 |
![]() 恭仁(くに)神社への分岐 |
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![]() 恭仁神社の鳥居と参道 祭神 宗道天皇、藤原太夫人、菅原道真公 |
![]() 恭仁神社の建屋の特徴 長い参道の正面に舞殿とその左右に仮屋を有し、その奥に割拝殿と本殿を配するという南山城地域特有の社殿配置をなしています。 |
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![]() 国道163号をくぐり恵比寿神社に向かう。 あとは田んぼの中の道を散策して加茂駅に向かうことになります。 |
![]() 日中はこんなに暑いのに田んぼの畦でははや秋の気配、彼岸花が咲いていました。 |
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![]() 小さな森の中の恵比寿神社の社 |
![]() 六体地蔵 |
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![]() 堤防道からのながめ |
![]() 木津川の堤防道を歩いて恭仁大橋に戻る。 |