笠置山から柳生街道で奈良へ
(東海自然歩道)
2002.7.3

        首切地蔵
荒木又右衛門がためし斬りにしたと伝えられている。
朝日観音
 梅雨の晴れ間、今日もいい天気になりそうだ!この時期は蒸し暑くて低山歩きはつらい。そこで新しく買い換えたデジカメ持って京都のお寺でも撮ろうと思いでかけました。ところが京都駅について気が変わり、京都府南部、奈良県境に近い歴史の山「笠置山」から柳生まで歩こうとJR奈良線の快速に乗る。木津で乗り換え加茂駅に着く。ここから笠置は一駅なのに関西線の連絡が悪い。10:15笠置駅着。
 今日の行程は何の準備もしていない、しかたなく駅にあった「京都府立笠置山自然公園ごあんない」というチラシを参考に歩き出す。紹介されている「A史の道コース」が東海自然歩道になっているのでこの道を行くことにしました。
亀山行きディーゼルワンマンカー:バックミラーが着いているのが奇妙に見える(JR加茂駅)
案内板にしたがい旧登山道のコンクリート階段をあるく。やがて写真のような山道になる。
舗装道路を横切り少し行くと笠置寺の山門につく(約30分)。入場料を払って修行場めぐりをすることにする(約40分)。
笠置山山頂から見える木津川
笠置寺略記:
笠置寺の創建は古い、すでに2000年前から笠置山の巨岩は信仰の対象となっていた。1300年前、東大寺の実忠和尚、その師良弁僧正によって大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えた。しかし、元弘元年(1331)8月27日倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を当寺に迎えたことにより、攻防一ヶ月ついに笠置山は全山焼亡荒廃した。・・・笠置寺(天武天皇勅願所、後醍醐天皇行在所)しおりより転載
十三重塔(重要文化財)
正月堂:この横の大岩石(弥勒石)に本尊仏弥勒仏が彫ってあるらしいが磨耗してよくわからない。
磨崖仏(弥勒上生の図)
11:50 笠置寺修行場巡りをおえていよいよ柳生に向かう。道標にしたがい山門を出てすぐ左の山道へ。お寺で聞くと笠置山山頂(288m)には三角点がない。三角点(324m)はこの先、飛鳥路分岐道標から左へ800mと後から山渓「京都府の山」のガイドブックで知る。ということで知らないうちにかさぎゴルフ場に出てしまう。ここは大きくひらけて道も歩道つきの舗装道路になる。そのまま下っていくと打滝川沿いの柳生街道に出会う、そこが笠置山登山口です。左折して柳生へ向かう。
東海自然歩道の道標に従い川を渡るとすぐ阿対地蔵だ。柳生の町はもうすぐだ。笠置山で時間をくったため柳生の史跡見物はパスして奈良へ向かう。東海自然歩道沿いに”十兵衛杉”を見てやがて奈良行きの道路を横断、道標にしたがい家老屋敷に向かう。
柳生家の家老屋敷、写真を撮って通過する。
家老屋敷より雰囲気があった隣の屋敷
山側に少し登ると疱瘡地藏(左)があった。そこから続く山道(右)
東海自然歩道の標識(柳生の八坂神社前にあったもの)
 
  
                距離の標示

   阿対地藏 →1.8km 40分 → 八坂神社 →2.8km 1時間 →
   → 山口神社 → 2.5km 50分 → 円成寺 → 5.2km 1時間40分 
   →地獄谷 → 3.2km 1時間 → 白毫寺
疱瘡地藏から右側の山を越えて田園地帯へでる。夜支布(やぎゅう)山口神社から再び山道へ・・・
南明寺をすぎて忍辱山(にんにくせん)円成寺へ向かう。
忍辱山(にんにくせん)円成寺の山門
暑さと足痛でリタイヤしてここからバスに乗ろうか思案したが結局奈良市まで歩くことにする。
奈良市の須川に入り舗装道路を下ってくると茶畑や民家が見られる。
15:50 柳生街道で有名な峠の茶屋に着く。店は営業していたが奈良までは1時間ほどかかるのでここもパスして先を急ぐ・・・いよいよ石畳の鬱蒼とした森の中へ、柳生十兵衛も歩いたという柳生街道だ。谷川沿いこの道は滝坂道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行により敷かれた石畳の道は、昭和はじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰っていくのに使われたもの。
この道際には石仏が沢山ある。
17:00 やっと奈良市内の破石(わりいし)バス停についた。東海自然歩道は破石のちょっと手前で左折して白豪寺へ向かい、山の辺の道へと続きます。
今日の行程は22kmほどらしいが蒸し暑さと足痛にバテバテの一日でした。ここからバスで奈良公園内を通り近鉄なら駅へ。帰りは近鉄で京都へでて帰宅しました。