木ノ本駅から田上山城跡を経て菅山寺へ①
(滋賀県長浜市木之本町~余呉町)
2015・10・17

 今年の2月に寒山寺へ行こうと出かけましたが、豪雪に阻まれて敗退しました。その時の様子は・湖北は雪国だった。 ⇐をクリックしてご覧ください。今日は秋晴れの良いお天気、菅山寺へのリベンジに長浜市の木之本へ出かけました。




①スタートのJR北陸本線「木ノ本駅」 
 駅構内にある観光案内ブースで情報と資料をゲット。はじめての田上山砦跡を歩いて呉枯の峰(くれこのみね)、菅山寺という下の地図の赤ラインコースを歩くことに決める。


手前左の山が田上山
 観光案内の方から教えてもらった道で、駅から約500mの田上山登山口へ向かう。


 

②北国街道(写真は余呉方面風景です)

※木之本宿については
・湖北の観音の里・木之本から高月へ
をご参照ください。
 

今日予定したコースです。
 

②登山口へは北国街道を渡って直進する。
 この立派な建物は「山路酒造」で、「桑酒・北国街道」の蔵元です。



 

③直進したら、この意富布良神社に突き当たります。
 飛鳥時代の創建と伝わる歴史ある神社らしい。神社境内で掃除していたおじさんに、この神社の名前どう読むの?と聞くと”おほふら”と教えてくれました。もう少し経つとすごくきれいな紅葉が見れるという。”田上山へはこの境内の右隅から登れるよ。すぐに林道に出るから、道なりに進めばよい”と親切に案内してくれました。




すぐにこの林道に出ました。
ここから道は左へ迂回している。
道なりに進むとすぐに展望が開けた場所に出る。





突然”木ノ本の町”が見える場所に着く。
 素晴らしい天気と、この景色を眺めながらティータイムとしました。左端奥には浅井長政の居城のあった「小谷山」が見えている。その右の低い山は浅井軍を攻めた織田信長群の陣が張られた「虎御前山」です。


林道の終点から山道に入って行く。
ちょっと坂道となっている。





眼下に木ノ本の町が広がっている。
 途中にまたこのような展望があり、遠くに琵琶湖が望める。山の形ですぐにわかる「山本山」が見えている。その山から稜線歩きで右へ縦走して行くと、古戦場跡の賤ヶ岳に着きます。



南堀切
 上宮(かんのみや)跡と表示されている開けた場所を過ぎると、登り坂は少し緩やかになり、砦の入り口南堀切に着く。田上山砦跡の入り口だ。
 


 城跡を見ながら①南郭、②主郭、③北郭と馬出し郭→⑤北郭という順に左から右へ砦城跡を歩いて通過する。

 

ここは上図にある②の主郭です。本丸に相当する場所で、守将羽柴秀長の陣所だ。
 田上山砦跡
 天正11年(1583)4月羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った賤ヶ岳の戦いで、秀吉の弟、羽柴長秀が。、標高323mに田上山陣城を構えた。兵員は1万5千と言われる。郭の数は北外郭、南外郭、西外郭、角馬出し郭、北廓、主郭、南廓、西廓等大小9廓から構成され。城郭遺構全体の特徴は、天正11年期の形態を示しており、外郭を含めると城域は、南北約500mm、東西250mにも及ぶ、賤ヶ岳合戦時の城郭遺構と言えよう。(現地の案内板より抜粋)
 
”くれこのみね(呉枯ノ峰)”の道標に従って進む。
砦城跡を過ぎると登山道は一旦下って行く。




 少し下って行くと分岐道になる。ここは展望があるり、菅山寺登山口の余呉町坂口が見える。呉枯ノ峰へはこの分岐で右へ。



分岐展を過ぎると呉枯ノ峰への登りがはじまる。


少し荒れていたが、すぐにこんな登山道になる。


植林帯を過ぎると・・・


呉枯ノ峰の稜線分岐に着く。道標に従って右へ。


稜線分岐から5分ほどで呉枯ノ峰頂上に着きました。


頂上の1等三角点

手持ちの山渓の登山ガイドブック「滋賀県の山」には”このあたりが開けていて、琵琶湖や竹生島など美しく望める。呉枯ノ峰の別名が見当山(けんとうざん)なのもうなずける。”と書いてあるが、なにせ1995年版と20年も前のガイドブック、今の頂上は樹木に覆われて全く展望はありませんでした(^^;)。 

※このガイドブックをもとに1999年11月に登っているが、展望があったかどうか記憶に残っていません。
その時の山行報告、簡単なものですが ⇒ ・湖北の呉枯ノ峰 ページをご参照ください。


ページが長くなるので菅山寺へは第二部としました。
・木ノ本駅から田上山城跡を経て菅山寺へ②
をご覧ください。