・くわのみでら ・きぬがさやま
2015・3・6
久々の晴れ間、早春の明るい光を浴びて山歩きがしたくなり近場の低山、繖山(観音寺山)へ出かけました。繖山から猪子山まで縦走すると展望も素晴らしく、歩きがいもある私の好きなコースです。シーズンを通じて何度も登っている繖山、今日は初めての桑實寺(くわのみでら)経由で観音正寺へ通じる参道を歩いてみることにしました。 |
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滋賀県立安土城考古博物館
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繖山へのアプローチマップ
まずは安土駅前の観光案内所で案内図をゲット、その後弁当(駅前にはコンビニがない)を買うため安土駅からちょっと回り道をして平和堂へ立ち寄る。 |
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安土の集落へ流れる川
弁当を買ってから安土城址の方向へ向かう。安土の集落を左手に橋を渡って安土城跡方向に歩く。 |
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安土城址
安土城址の横を通って、ここから右へ90度曲がり繖山方向へ向かう。 |
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繖山と麓の文芸の郷
左からヨーロッパ風の「県立安土城考古博物館」、文芸セミナリオ、あづちマリエートの建物です。 |
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人と文化の交流する場所
文芸の郷
一見してローマ風の建物が建ち並ぶこの「文芸の郷」は、ヨーロッパ文化交流の国際都市としての安土桃山時代の象徴として誕生しました。スペイン・セビリア万博の日本館メイン展示物として復元された安土城天主を展示している「信長の館」やパイプオルガンを備えたバロック調の音楽ホールである「文芸セミナリヨ」、総合体育館としてまた多目的ホールとしてスポーツや文化交流にと幅広く活用できる「あづちマリエート」、四季折々の味を生かした文芸の郷レストランなど、歴史と文化に出会える場所になっています。
詳しくは「安土町文芸の郷振興事業団」のHPをご覧ください。
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繖山と麓の文芸の郷に着く。
ここで安土城考古博物館をスケッチする。
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11:11 桑実寺集落に着く。
安土駅から直接ここへ来れば30分ほどで来れるのに、回り道とスケッチでずいぶん時間をくってしまった。 |
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いよいよ登山開始
急な石段の続く桑實寺の参道となる。 |
桑實寺の山門
開創1300年、天智天皇勅願所
繖山 桑實寺
寺名は、定恵和尚が中国より桑の木を持ち帰りこの地において日本で最初に養蚕技術を広められたため。山号の繖山も、蚕が口から糸を散らしマユを懸けることにちなんだもの。創建の昔より薬師如来信仰の祈願道場として栄えました。 |
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参道を振り返ると展望が開けている。
山門の向こうに遠く近江富士が見えています。
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本堂へはさらに石段を登って行きます。
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桑實寺本堂
この本堂は 戦国時代の戦火に会わず、南北朝時代に建立されたままの姿を保っている。
※ここから拝観料金300円が必要となります。参道を通過するにも必要となります。 |
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本堂右横のこの石段を上がると境内は終わり、観音正寺への参道となる。 |
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観音正寺への参道を登って行くと・・・ |
食い違い虎口跡
12:04 桑實寺から約25分、観音寺城跡に着く。 |
観音寺城跡 本丸跡中心部分 |
観音寺城(別名・佐々木城)
築城年は応仁・文明年間(1467年 - 1487年)
近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城となる。標高432.9m、南北に伸びる繖山山上に築かれる。天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた。周辺は琵琶湖や美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、それらを管制できる要衝に位置する。 |
観音寺城跡を通り越すとすぐに繖山頂上(三角点)への分岐に着きます。ここからすぐに観音正寺の境内があるので拝観して行こう。 |
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西国三十二番札所・観音正寺
12:30 観音正寺境内からの展望
最後方中央に見えている山は近江富士(三上山)です。
山麓に見える道路は国道8号線です。それに並行してJR新幹線路線があります。
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頂上への道にもこんな石垣が残っている。 |
12:47 繖山頂上に着きました。 |
頂上から少し下ると大きく視界が広がります。
眼下の低山は織田信長の居城、安土城があった安土山です。その後方はびわ湖内湖で一番大きい西の湖、その後ろは八幡山、長命寺山・津田山、うっすら見えている山影は湖西の比良山系です。頂上付近はまだ真っ白です。 |
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小春日和、明るい光があふれている尾根道で
13:00 ゆっくり昼食をとる。 |
これから歩く山道がつづく。
後方右は彦根市です。 |
展望抜群の尾根道
後方左に雪をかぶった伊吹山が、右端には鈴鹿山系の霊仙山が望める。
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13:40 地獄越え
繖山から一旦この峠まで下って、再び登り返す。 |
繖山
急な登りの途中で振り返る。 |
峠から登り返すと雨宮龍神がある。 |
春を感じる尾根道。 |
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14:30 猪子山頂上に着く。
この縦走路の終点の低山です。 |
岩屋北向十一面観音
この大岩の後ろが猪子山頂上です。 |
北向観音の右は琵琶湖が望める抜群の展望が開けている。
この広いエリヤには大中湖があったが、戦後干拓されて大部分が農地になりました。
見えているのは残ったその一部だと思う。
大中湖は・・・
直径4kmのほぼ円形であり、隣接して小中湖(伊庭内湖、安土内湖、西ノ湖の総称)があった。湖底は平坦で浅く、水深は最大でも2.7mしかなかった。面積は15.4km2であり、諏訪湖(長野県)よりもやや大きく、大中湖同様に干拓された巨椋池(京都府南部)の約2倍だった。
(ウィキペディアより) |
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北向観音からはいつもの道でなく、初めて歩く佐野善勝寺道を下りました。 |
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