神戸・歴史散歩
2007・1・11


 
神戸といえば異国情緒あふれる街と思い込んでいたが・・・・ JRの駅にあった旅案内に”異国情緒だけじゃない。神戸の「和」を訪ねる。”と紹介されていた。由緒ある神社や仏閣、歴史を感じさせるモニュメント・湊川神社(楠公さん)・兵庫津の道・酒蔵の町・灘と神戸の「和」にふれてきました。

 まずはじめに「兵庫津の道」へ行こうと思っていましたが、電車に揺られて気持ちよく眠っていて降りたところは神戸駅でした(^_^;)。これが結果オーライ、次の兵庫駅には新快速電車は止まらないとのこと、ここで降りていなかったら明石までつれて行かれてしまうところでした。

 さっそく神戸駅から山側の湊川神社へ。おそまきながら今年の初詣が出来ました。



湊川神社の正門
奈良や京都で神社を見慣れていますが、それと比べるとちょっと変わったスタイルだなあ・・・




境内の参道
鳥居も本殿もコンクリート?でも本殿の天井画はちょっとしたものでしたよ。写真撮りたかったが、ちょうどお神楽奉納の最中だったので遠慮しました。

 大楠公・楠木正成公の得を授かりに毎年140万人もの参拝者があるとのこと。お正月を過ぎていまは静かなたたずまいでした。神社はあと二つ、三宮の生田神社(恋愛成就の名社)と長田の長田神社(長田さんはえびす様)が紹介されていましたがパスすることに・・・



 兵庫津の道は兵庫駅から、ここから歩いてみようかなと思いつつハーバーランドに着く。ついでなので昨年スケッチに来たポイントまで歩いてみました。今日は「和」めぐりなのに、ここの洋風の風景が気に入ったのでスケッチしました。これが2007年の初スケッチになりました(^_^;)。



JR神戸駅からすぐのハーバーランドにある煉瓦倉庫を改造したレストラン





 結局歩くのをやめ、神戸駅まで戻ってJRで兵庫に行くことにしました。こんなとき青春18切符は便利ですね。兵庫駅に着いたら駅前は縁日のようなにぎやかさ、大勢の人と屋台が沢山並んでいる。そのたまたま「兵庫津の道」ルートと重なっているので人並みについて歩いて行く。ところが最初の交差点で柳原えびすの旗が立っているのが目についてその方へ進む。ここで案内ガイド図の道からはずれてしまいました(^_^;)。でもそのおかげで”残りえびす”にお参りできて幸運でした(^_-)-☆。



残りえびすで賑わう柳原えびす。さっそくお参りをして・・・

 人の流れについていくと、なんと通りをはさんで大黒天がありました。これは年初から縁起が良い。二重にラッキーな兵庫津へのアプローチでした。しかし、兵庫大仏の方向だと思っていたら着いたところが本町公園でした。聞いてみると反対方向とのこと、先に近くの大輪田泊の石碑を訪ねることにする。



兵庫津の道
太古の港を歩くコース



赤の点線:案内ガイドのルート
緑の実践:今回歩いたルート






 港神戸のルーツ・大輪田泊の石椋(おおわだとまりのいしくら)は古代の工事に使われた巨石で、この巨石を積み上げて堤をつくったと推測される。船が見えるところが新川運河です。


 平安時代の初めから、物資輸送や外交航路のための港として活躍していた大和田泊。平清盛は日宋貿易の利益に目をつけ、応保元年(1161)から人工島(経ヶ島)を造営するなどの大修築工事を行い、さらに発展させた。鎌倉時代以降は「兵庫の津」と呼ばれ、室町時代には勘合貿易で、江戸時代には北前船で賑わう。石椋は新川運河浚渫工事のときに発見されました。






新川運河沿いのキャナルプロムナード



キャナルプロムナードの全景





キャナルプロムナード中ほどにある兵庫城跡の石碑


 新川運河は・・・
兵庫の歴史を継承する地です。古代には太古の港・大和田泊、安土桃山時代には池田信輝・輝政父子の兵庫城、明治元年(1868)には最初の兵庫県庁が建てられた。明治8年(1875)には船の避難を目的とした新川運河が完成、船入場として繁栄しました。



 新川運河に架かる大輪田橋横の兵庫住吉神社境内には清盛塚があります。

 平清盛

 平安時代末期、平氏の全盛期をきずいた武将。保元の乱・平治の乱で源氏をおさえて中央政界に進出し、1167年に太政大臣となり、むすめの徳子を高倉天皇の后とした。この間、一族を朝廷の高位高官につけ盛をほこった。のち、後白河上皇と対立すると院政をやめさせ徳子のうんだ安徳天皇を即位させ、外祖父(母方の祖父)として独裁政治を行ったが熱病で死す。
 日宋貿易に積極的に取り組み大輪田泊(神戸港)を修築し、瀬戸内海の水運をさかんにした。


清盛塚
石造りの十三重の塔には、鎌倉時代の弘安九年(1286)の名が残っている。これは清盛の死から百年以上も後の時代です。


琵琶塚

 琵琶の名手、平経正(つねまさ)にちなんだものです。


能福寺の兵庫大仏

神戸の歴史を伝える能福寺は伝教大師最澄の創建による天台宗の古刹。平清盛ゆかりの寺として知られ、平相国廟(平清盛廟)は清盛の遺骨を納めた地として伝えられています。明治24年に建てられた兵庫大仏は、奈良、鎌倉と並ぶ日本三大大仏のひとつ。現在の大仏は二代目、総高18m。
何とか無事に兵庫津の道を歩くことが出来ました。



さあ次は酒蔵の町・灘だ!
〜寒造りの季節。甘いかおりの中を〜
・・・のコピーに誘われて各駅停車でJR六甲道まで行く。

「灘五郷」と呼ばれ、江戸の世から酒造りの町として知られる灘。11月から2月は寒造りの頃だが、いまは冬至の手造りは見られない。第二次大戦の爆撃や神戸地震のせいか昔ながらの風情はの請っていませんでした。大きな近代的な酒造工場が立ち並ぶ町は殺風景でした。灘の生一本おなじみの白鶴や菊正宗など大手蔵元の記念館は復元されて見ごたえはありました。飲酒運転厳禁、見学のとき入門カードに「歩き」に○をつけるときき酒が飲ませてもらえました。

「灘五郷」とは、西郷・御影郷・魚崎郷・西宮郷・今津郷のことです。
へっこう広いエリヤなのでモデルコースの御影郷から魚崎郷に行くことにしました。



国道43号線の歩道橋から振り返って六甲山を写しました。






灘の奈良漬・甲南漬の資料館
案内ルートの最初は「こうべ甲南武庫の郷」





神戸酒心館
(御影郷)


白鶴酒造資料館
(御影郷)


酒作作業を再現した白鶴資料館の内部
(御影郷)


菊正宗酒造記念館
(魚崎郷)


御影方面


六甲山
高架になっている南魚崎駅からの眺め

 菊正宗酒造記念館から徒歩2分の六甲ライナー南魚崎駅駅から乗って、JR住吉駅経由で帰宅しました。