曼陀羅山古墳群現地説明会
(2014・2・22)

 昨日は比良山系の蓬莱山へ雪山散歩に行きました。一夜明けて今日も湖西へ。この日は京都新聞で知った「曼陀羅山古墳群現地説明会」に出かけました。場所は大津市緑町:大津市立真野北小学校横の土地です。)説明会は午後二時からとあったので、早めに出かけました。現地に着く、とすでに大勢の見学者で行列ができていました。受け付けで資料をもらって説明会の列に加わる。現場は冷たい寒風が吹いていてとても寒かったです。




 昨日はあいにくの空模様、雪が吹雪いてその姿を現さなかったが、今日は晴天に映える冠雪の比良山が発掘された曼陀羅山古墳の向こうに権現山から蓬莱山、打見山までの山並み間近に望めました。




現地説明会の行列



1号古墳の石室で説明を受ける。
遺跡名  : 曼陀羅山古墳群
調査地点 : 滋賀県大津市緑町
時 代   : 古墳時代後期
調査面積 : 5,200 u 
調査期間 : 平成25年6月〜平成26年3月末(予定)
調査原因 : 宅地造成 
曼陀羅山古墳群と周辺の遺跡
 曼陀羅山古墳群は、大津市の真野地域、曼陀羅山の尾根上から西側に分布する古墳群です。120基程度の古墳が確認されているが、ほとんど発掘調査がされていません。今回の調査地は、真野北小学校の北側に隣接する地点で、調査前より5つの墳丘が見られたこと(内2基は石室が開口)から円墳5基と考えられていました。周辺の遺跡についてみると、まず曼陀羅山の尾根上には4世紀の前方後円墳と考えられている「和邇大塚山古墳」が位置しています。尾根の東側には小野妹子の墓ともいわれる「唐臼山古墳」や、これよりやや古いと考えられている「真野古墳」が見られます。また、曼陀羅山から北、和邇川までの間の丘陵地には、「石神古墳群」「石釜古墳群」「ヨウ古墳群」など多くの古墳群が広がっています。現地でもらった「大津市教育委員会文化財保護課」の説明資料からの転載です。



石組が少ししか残っていない3号古墳の石室
だが、須恵器とか調度品が発掘された。



1号古墳から2,3,4,5号古墳へとつづく






現地説明会に展示されていた発掘品の一部です。

                  まとめ
 今夏調査を行った5基の古墳については全て横穴式石室を持つ円墳でした。出土した土器や、石室の状況より6世紀後半のものと考えられます。
 この横穴式石室については、「畿内型」などと呼ばれる、玄室の平面形が長方形となるもので、壁の顕著な持ち送りはみられないもので、堅田に位置する春日山古墳と同じです。これは大津市内の坂本から錦織に広がる渡来人の墓と考えられる「ドーム型石室」とは異なるものです。
 上げ方も、基底部の石をタテ方向に立てて使用し2石目より横方向に置いていきます。この積み方は平成11年度に調査された春日山古墳の石室とよく似ています。。

これも「大津市教育委員会文化財保護課」の説明資料からの転載です。



 帰りは混んでいる琵琶湖岸沿いの旧161号をさけて和邇IC経由の湖西道路を走りました。下の写真は和邇ICの駐車場から比良山系の権現山から蓬莱山、打見山までの山並みを写しました。




冠雪の比良山系の山並み



ここからちょっと権現山山麓の栗原の集落へ登って行き
小雪混じりの寒風が吹く中でこのスケッチをしました。




琵琶湖展望
対岸の湖南には近江富士(三上山)が望める。