湖北の城跡めぐり

2022年4月16日(土)

 お天気が回復するようなので、何処かへスケッチウオークに行こう。適当な目的地が思い浮かばない時の私の常套手段は、まずはJRに乗ります。琵琶湖一周して何処か気の向いたところで下りるつもりで、山科駅へ。そこから湖西線を走る新快速で近江塩津へ向かいました。近江舞子、今津、マキノでも下りる気がしなくて近江塩津に着いてしまった。ここで北陸線の姫路行きに乗り換える。さて、何処で下車して何処へ行こうか思案しながら窓外の風景を眺める。

 

近江塩津からトンネルを抜けると余呉駅だ。時間は11時を過ぎたところだ。
ここから賤ヶ岳登って、山本山までの尾根歩きをと考えたが、なんとなく気がすすまず、余呉下車はパスする。

 木ノ本駅、高月駅も過ぎ、河毛駅が近づいてくる。そうだ、この前浅井長政の城跡、小谷山へ登ったから、その城を攻め落とした「織田信長」が陣を構えたという「虎御前山」へ行こう・・・と河毛駅で下車する。
 駅舎構内にある観光案内コーナーでマップを探していたら、河毛駅”駅からマップ”がありました。それには近くに丁野山城跡、中島城跡がある。それと”浅井亮政(すけまさ)公ゆかりの丁野岡山公園に550段の階段散策道が完成”というチラシがあった。わかりやすい丁野山城・中島城のイラストマップもゲットできた。さあ、コースが決まり、出発する。



  手前が山脇山、北陸自動車道の向こうが岡山(丁野山城)だ。駅を出た所の道標に 丁野山城 1200m とある。丁野は”ようの”と読むそうです。案内所のおじさんが教えてくれましたあ。写真の右端に案内板が見える、登山口かな? 行ってみよう。
 
 
これから歩くコース(青ライン)が決まる。
 
 
 

着いて見ると、山脇山(明智光秀陣所跡)とある。
 説明板には「湖北町山脇集落の北に、東西に長く伸びる山(標高 143m)で、北麓の岡山との間の谷には、山脇の鎮守・谷田神社が鎮座する。地域に伝来する「丁野山古砦之図」では、織田信長の小谷城攻めに当たって、明智光秀の陣所が山の頂上にあったと記載されるが、現在は明確な陣所の跡は確認できない。・・・とある。
 

案内板横の古図
 織田信長の家臣、有名な武将の陣所跡とある。さあ、登ろう。
 

すぐに尾根に着く。案内板通り、陣所の跡などはない。
 

進行方向左手、「中島城跡」の丘陵に黄色旗が・・・。
  北陸自動車道をはさんで、これから向かう中島城跡、丁野山城跡のある岡山が対峙している。
 

 青色テープの巳印に沿って道なりに下山する。そこは山脇集落でした。正面の山は岡山の後、登る予定の「虎御前山」です。
 

丁野山城跡のある岡山
 山脇集落から県道263号線を北へ、すぐにある北陸自動道をくぐると、道左側に「中島城跡」の看板が・・・。
 

 中島城跡入り口が近づいてくる。入り口前にはこれからめぐる城跡の案内図(写真右)がありました。河毛駅でゲットした案内チラシにあったのと同じ図でした。


「丁野山古砦図」
   
中島城の主郭目指して登って行くと、さっき山脇山から見た黄色の旗竿がある所に着く。
ここが中島城の主郭だ。展望が開け、正面に日本百名山の「伊吹山」が見える。


 


伊吹山遠望

  小休止、おにぎりを食べながらスケッチしました。伊吹山の手前左が小谷山の裾野です。右端のこんもりしているのが、この後登る「虎御前山」です。虎御前山の周囲を”北陸自動車道”が走っている。


 

図の「現在地」が休憩&スケッチした場所です。
 

あづまやとその向こうが岡山
一旦下って、登り返すと「丁野山城」です。
 

 中島城跡から下った鞍部、ここから丁野山城跡を目指して登って行く。
 

もうすぐ、頂上だ。
鮮やかな新緑が目に飛び込んでくる。


 

ゆっくりスケッチしている時間がなかったので、帰宅してからこの絵を描きました。
(右上の写真参照)


  

小谷城跡が残る小谷山です。右端遠方には滋賀と岐阜の県境にそびえる伊吹山が見えている。
手前右は今登ってきた中島城跡のある尾根です。


 

丁野山城跡
(西方向の展望)
中島城跡の主郭から約10分ほどで、ここに着く。見えているのは琵琶湖岸の山本山です。
 ここは小谷丁野の南西に存在する岡山の最高点(標高 169mです)。平地からの比高差70mの場所に点在する砦跡です。「丁野山古砦之図」によれば、永正15年(1528)7月に”浅井亮政(すけまさ)が築城、天正元年(1573)には朝倉義景の軍勢が小谷城の加勢に入ったとある。 


 

山本山の左の島は「竹生島」です。
西国三十三所の第三十番札所、宝厳寺があります。
 

丁野山城の配置図
 

コースは本丸跡の頂上から「阿弥陀寺跡」へ下って行く。
 

阿弥陀寺跡に着く。いまは「谷田神社」になっている。
 ちょうどこの日は谷田神社の礼祭ということで、式典の最中でした。


 

本尊は千手観音、朱雀天皇の時代、承平7年(937)に建立されたといわれるお寺跡です。


   
 お詣りをして、次の目的地の虎御前山へ向かう。


 

今歩いて来た左から中島城跡、左の一段高いのが岡山(丁野山城跡)です。


 
 

虎御前山は案外近くだ。
北陸自動車道のETCインター道に沿って歩いていく。
 

約15分、虎御前山ハイキングコース登り口に着く。
コースはいきなりの急登が続きます。
 虎御前山城 
 長浜市中の町から湖北町河毛・別所につらなる虎御前山の標高220mを最高点とする丘陵上に点在する。この城は、浅井氏の小谷城を攻めるため、元亀3年(1572)に織田信長が築城した付城(陣城)とある。この城は翌年9月1日に小谷城が陥落するまで、信長の浅井氏攻めの最前線として使用された。
 南から多賀貞龍・蜂屋頼隆・丹羽長秀・滝川一益・堀秀正・木下秀吉・柴田勝家の陣跡などが続くが、丹羽陣以南は県営キャンプ場の跡地になっており、その造成により破壊がはなはだしい。しかし、滝川陣跡以北は比較的良好に縄張りが残っている。枡形や堀切・土塁・段々状の削平面がよく残っている。(登山口入り口の案内板より抜粋)
 

10数分の急登が終わると、少し緩やかな道になる。
 

 登山口から15分、小谷山山頂が見える場所に着く。ここには案内板がありました。
 「浅井氏の小谷山城 山頂の大嶽と曲輪群」
 眼前の山が小谷山。全山に大規模な郭(曲輪・くるわ)群が連なる。天正元年(1573)8月末、信長は秀吉(藤吉郎)に命じ、京極つぶら(丸)を攻略して小谷城を落城させ、妹のお市を救出した。」・・・(写真右上場所の説明板)
 

ハイキングコースなりに進んで行く。
 

14:20 登山口から約20分、「柴田勝家砦跡」に着く。
  コースなりに歩いて行くと「前方後円墳」の表示のある場所がある。
 

土塁、堀切
 

かざし堀
つづいて、砦跡らしい場所「堀切」・「土塁」・「かざし堀」などが出てくる。


 

木下秀吉陣地跡
 かざし掘横の道を上がると広い平坦な場所「大曲輪」に着く。ここは虎御前山(標高224m)、秀吉の陣地跡らしい。

 

 コースなりに歩いて行くと・・・
 

約5分ほどでこんな「台形の所」に着く。

   
台地の上は平坦な広い場所になっている。ここが「織田信長陣地跡」でした。
(虎御前山標高229m)の表示もある。樹林の隙間から小谷山頂上が見える。
さすが小谷城攻めの総大将「信長」はやはり一番いい場所に本陣を構えていたのだ。


  

ここは「堀秀正砦跡」とある。
   
 やがて、左上の写真のような平坦な広い下り道になり、 この柵(来た道をふり返って撮影)を出るまでは、1から5号古墳の案内板がありました。柵を出て下ると広い台地(下の写真)がある。そこは「丹羽長秀陣地跡」だと表示されていました。


 

広い丹羽長秀陣地跡
見えているNTT鉄塔の所から、ここまでは舗装路を下ってきました。



 ここから先も広い台地が続いているが、広い丹羽長秀陣地跡から、その中間に小さな祠「岩屋寺」がある。その右手に舗装路があるので下って行きました。
 

黄色線が歩いたルートです。
緑色線がパスしてしまった個所です。

JR虎姫駅でもらったチラシを利用しました。

※上図をクリックすると拡大します。

 今回は前回登った時の「虎姫山登山口」へは下山出来ずに、岩屋寺の所から舗装路を下ってしまいました。
 

岩上神社
 舗装路は一気に下って行く。10分弱で、この岩上神社の鳥居の所に下り着きました。ここで、JRの時刻をスマホでチェックしたら15:25の姫路行がある。その次の電車は一時間後だ。あと30分か、速足で歩けばなんとか間に合うだろう
 

JR虎姫駅
 15:20分虎姫駅に着く。なんとか間に合いホッとする。
いいお天気にマグマれ、いい城跡めぐりができた一日となりました。



 *********** 参 照 ***********

以前に登った虎御前山ページです。

・姉川の古戦場から虎御前山へ (2005/04/21