荒神山
(こうじんやま 標高284mの独立峰)
滋賀県彦根市
2015・5・7
 先週の日曜日に勝楽寺山から眺めた荒神山、機会があったら登ってみたいなあと思っていました。この日もよいお天気、どこかへ出かけたいが行先が思い浮かばない。そうだ荒神山へ行こうと急遽出かけました。この荒神山は、滋賀県彦根市の中西部にある標高284mの独立峰です。奈良時代、行基が山頂に奥山寺を開山した際に、三宝大荒神の像を祀ったことから、荒神山と呼ばれるようになりました。低山ですが、どっしりとし良い山容をしています。

  

荒神山
一つ先のJR河瀬駅の方が近いが、今日はJR稲枝駅から歩くことにしました。
 

 稲枝駅から荒神山に向かう途中、先週登った勝楽寺山が右方向に見えている。約1時間農道を経由して麓の稲里の集落に着きました。
 

 集落に入ると、こんなスケッチしたくなるような土蔵がある。描いてみたい衝動にかられるが、今日の目的は荒神山登山だ、先を急ごう。
 

 集落の道で出会った男性に、荒神山の登山道を聞くと、ここから一番近いという稲村神社参道から登る道を丁寧に教えてくれました。
 

11:15 稲村神社東参道に着く。
ここから登って行くのだな。

 

舗装路を行く
5分ほど登ると参道を横切る舗装路に出会う。ここで右折して水道貯水タンクを目指せと教えられている。
 

稲村神社の本殿
 すぐに貯水タンクがあり、過ぎると、稲村神社への案内板がある。せっかくだから、ちょっと立ち寄って行こう。
 

 神社の社務所後方にこれから行く荒神山山頂が見えている。さあ、舗装路に戻ろう。

 

 舗装路を20分ほど行くと道標のある分岐が右手にある。ここを下っていくと天満天神社へ行けるとある。
 

 舗装路の進行方向を見ると石段道がある。きっとこれは参道だろう。舗装路は退屈なので、こちらを行くことにしました。
 

やはり舗装路より山道がいいなあ。急坂がつづくが、わずか7分ほどで神社の石段下(写真左下)に着きました。
 

まるでお城のような石垣だ。
石段の上に神社の拝殿が見えている。
 

拝殿

 

青銅製のうしの像と荒神山神社の本殿
 

拝殿横に置いてあった荒神山のウオーキングマップ


荒神山神社の境内奥(左手)には素晴らしい展望(北方向)が開けていました。
先客の男性が一人ベンチに腰掛けている。聞くと地元彦根の方でした。
ここで眺めを楽しみながらお昼タイムとしました。

 

荒神山神社境内からの展望。
真下には曽根沼、すぐ琵琶湖岸です。右上に見える小さな島は多景島です。
その後方にうっすらと竹生島が見えていました。


 

下山は荒神山古墳と三角点を通る道を選択する。
 

すぐに荒神山古墳の案内道標がある。
 

この小山が荒神山古墳の後円部です。
 
  古墳から5分ほどであずま屋があり、その横に三角点がありました。
ここから彦根方面(東方向)の展望があります。
 

あずま屋
 

三角点
 荒神山神社のある山頂から北東に約300メートルにある三等三角点(標高261.48m、点名が「日夏山」)です。ここも展望が素晴らしいです。



彦根方面が望めます。
   
頂上の荒神山神社でもらった「荒神山ウオーキングマップ」 には
この下山道は「三角点コース」とありました。
 

下山道の終わり、荒神山公園に着く。
 時計を見ると、まだ午後1時だ。最寄りの駅はJR河瀬駅だが、帰宅するには早すぎるなあ。ちょっと遠いが彦根城を目指してみよう。
 

宇曽川に架かる小梅橋を渡って田んぼのあぜ道へ
振り返って、いま下ってきた荒神山を撮りました。


 

振り返ると麦畑の向こうに荒神山が・・・
 

県立大学のちょっと変わった尖塔を左に見て進む。
 犬上川を渡ったところで、少し足が痛くなったので最寄りのJR南彦根駅にしようかと思ったが、ここまで来たのだからもう少し頑張って彦根城まで行こうと、そのまま道なりに直進する。やがて芹川に着く。



  

芹川
池洲橋から見える上流(南東)景色


 

芹川に架かる池洲橋を渡ると彦根城天守が見える。
なが~い退屈な歩き、やっとゴールが見えてきました。



 

江國寺
 歩いてきた県道2号線(ベルロード)は彦根城近くでT字路に突き当たる。この寺はその正面にあった禅寺で、ここを右折するとすぐに彦根城の京橋に行く「キャッスルロード」に入って行く。
 

宋安寺
 京橋口からのキャッスルロードにある。この山門は石田三成の佐和山城大手門を移築したものとか・・・。
 

キャッスルロード
 彦根城のお堀にかかる京橋からつづく江戸時代の城下町をイメージした白壁と黒格子の町屋の通り。


彦根城



二の丸佐和口

  彦根城は、徳川家康の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工、20年の歳月をかけて築城されました。 天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築された。この間、井伊直孝は大坂冬の陣、夏の陣で功績を上げ、徳川四天王に劣らぬ武将と賞賛されました。
 この場所は、いろは松と外壕(旧中濠)、入り口に二の丸佐和口門があった場所です。左右に佐和口多聞櫓が見え、その後方石垣の上に天守が見えて、彦根城のベストスケッチポイントです。