金勝山
金勝寺
滋賀県栗東市荒張671−1
こんしょうじ
(2012・12・25)
 今日は週1回の近所のOB仲間との恒例の朝コーヒー会、そこでT氏から趣味の「手製の竹行燈」作品を金勝山・金勝寺で展示していると聞く。ちょうど午後に信楽まで行く用事があったので、途中にある金勝寺に立ち寄って「竹行燈」を鑑賞しに行こうとでかける。金勝寺は金勝山(604.7m)の頂上近くにあるのでとても寒かったです。地面にはうっすらと雪が残って、小雪がぱらついていました。参拝&スケッチもできてこれてよかったです。



草津のスターバックスから車で30分ほどで金勝寺の駐車場に着く。
(アクセス 名神栗東ICから25分 駐車場)
道路わきにはうっすらと雪が残っている。
車から出ると冷え込んだ外気でぶるっとくる。さむ〜い。
以前は無人のお寺で拝観することはできなかったが
久しぶりに来ると寺の方が常駐している。
拝観料金500円を払って境内へ。
竹行燈は本堂と毘沙門堂に展示しているという。




参道からの仁王門
F2 鉛筆+水彩

                             金勝寺の由来
 天平5年(733)聖武天皇の勅願により、奈良の都(平城京)の東北鬼門を守る国家鎮護の祈願寺として、東大寺初代別当の良弁僧正が開基し、八世紀の中頃までに近江の二十五別院を総括する金勝山大菩提寺としての法相宗興福寺の仏教道場でした。
 弘仁六年(815)嵯峨天皇の勅願をうけ、興福寺の高僧願安が、伽藍を整備し、天長十年(833)仁明天皇により、鎮護国家の僧侶を育成する官寺である「定額寺」に列せられ、金光明最勝王経の金勝陀羅尼品の「金勝」が勅願の題字であり、金勝山金勝寺となりました。(中略)
天文十八年(1545)大火により、諸堂が焼失したため、後奈良天皇は再建の論旨を下され、慶長十四年(1599)住職竜王院法印は、徳川家康に請願したが、再建までに至らず、現在の本堂は約四百年前の仮堂であり、排水を考えた山型配石の参道の石垣は、延宝二年(1674)に修復されたものであり、大講堂跡、三重塔跡は左高台に残っています。





仁王門と仁王像
門の奥に本殿が見えている。





金勝寺の本堂
まず本堂の作品を見ることにする。
本尊の釈迦陀如来さんにお参りする。
その前に線香が置いてあり3本が10円・・・
賽銭がわりに線香に火をつけてお参りする。



本堂の外、扉ごしに竹行燈が見える。



デジカメ持っていなくて携帯電話のカメラ
せっかくの作品なのに、ランプの光で焦点が合わない。



なんとか作品がわかるのはこの一枚だけでした(^_^;)。




初詣のポスターが本堂前に・・・
霊山清浄 久遠のあかり
「参道を照らす路地行灯」
大晦日〜正月3日



本堂の上にあった講堂跡
礎石が残っている。
           金勝寺の仏像
<重文>木造釈迦如来坐像 木造軍荼利明王立像 木造虚空蔵菩薩半跏像 木造毘沙門天立像 木造地蔵菩薩坐像





本堂の上から仁王門をスケッチ
F2 鉛筆+水彩
仁王門の屋根はうっすらと雪化粧をしている。






金勝寺の虚空蔵菩薩堂
講堂跡へ向う巡回路からスケッチしました。
F2 鉛筆+水彩




金勝寺でゆっくりスケッチ散策したため、本来の目的、甲賀市信楽町の用事の方がおまけみたいになってしまいました。信楽といえば陶器の里で有名ですが、本格的な作品(陶器)はよく分からないが「タヌキ」の置物が思い浮かびますね(^_^;)。




用事を済ませた後、町中を散策したが、
あまりに寒くてスケッチ2枚して早々に退散しました。






大阪枚方へつづく307号線から少し入ったところです。
登り窯を描こうと思いながらなんとなくこんな風景を描いてしまいました。
F2 鉛筆+水彩






窯元
窯めぐりコースを歩くと、いつもこの煙突にひかれて来てしまう。
煙突がやけに大きくなってしまいました。
F2 鉛筆+水彩