紀伊山地の霊場「熊野三山」
第1日目 那智大社から熊野速玉大社
(2011・3・29)

 かって京都から熊野三山への参拝道を熊野古道と呼んでいました。世界で2例しかない道の世界文化遺産「熊野古道」の小辺路、大峰奥駈道、中辺路、大辺路、伊勢路の結びの地、そのすべての参拝者が目指した熊野本宮(熊野権現)へお参りしてきました。これまでに歩いた古道の1部のおいしいコース熊野古道を歩くを先にご覧いただくのもよいかと・・・・




何回も特急列車通過待ちで小休止
 青春18キップの残り二枚を使って紀勢線で一周の旅、第1日目は大阪周りで那智へ。4回も乗り換えて約7時間半のローカル電車の旅でした。



車窓からの風景
 大阪駅で和歌山直通快速に乗換、次は御坊、その紀伊田辺、最後は新宮行きと普通電車を乗り継ぐ。車内は18キップの旅をする人や、グループが多い。



社殿風のJR那智駅

早朝の5:49守山発で那智には13:26着でした。
駅で那智山までの案内図と情報入手してバスで
大門坂を目指す。



大門坂入り口

大門坂バス停で下りて少し戻ると
熊野古道中辺路道の大門坂入り口です。
(バスで約15分)




 那智駅に着いてトイレ探したが見つけられず。改札口をでて右の「丹敷の湯」(上の那智駅写真の左の部分)に入る。
 係の方が、ここは町営の那智駅交流センター で公衆浴場「丹敷(にしき)の湯」があり、綺麗なトイレも完備、那智山の案内資料やバス時刻なども教えてくれました。 
 那智駅から 熊野那智大社・那智山青岸渡寺、 那智の滝まではなだらかな上り坂の道で約7kmあり、約2時間はかかると聞く。時間と体力を温存して大門坂までバスで行くことにしました。



大門坂入口からすぐに


 
この振りヶ瀬橋があります。
俗界と霊界の境の橋です。


←の写真
ラッキーなことに
時代衣装を着た観光客に出会う。
大門坂入口の「大門茶屋」で衣装が借れます。往時の熊野詣の雰囲気が・・・・
この夫婦杉は樹齢800年らしい



杉の木立と石段がつづく大門坂は約640m(6丁)あります。



大門坂を登りきると表参道になる。
約460段の石段を登って青岸渡寺と熊野那智大社
へお参りすることになる。




熊野那智大社への参道(石段)



境内からの那智の滝遠望


那智大社の三重塔と那智の瀧





熊野三山の一つ、那智大社本殿
 
 御由緒

 熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。
 古代からこの大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたのであります。

 やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行なわれるようになりました。

 その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(九〇七年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は三十四回、後鳥羽上皇は二十九回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたと記録されています。



やっと念願かなって西国三十三所霊場の第一番札所「青岸渡寺」にお参りすることができました。

青岸渡寺
 青岸渡寺(如意輪堂)の創建は、仏教伝来以前の仁徳天皇の御代(313〜399)にインドから熊野に漂着した裸形上人(らぎょうしょうにん)が那智大滝にて滝修行中、滝壷から八寸(約24cm)の観音像を感得し、草堂をむすんでこれを安置したのが始まりと伝えられています。その後、7世紀頃に大和国から生仏という僧が来て、一丈(およそ3m)の如意輪観音の木像を彫り、裸形上人が得た観音像を胸に納めて本尊とし、正式に本堂が建立されたそうです。本尊を如意輪観音とすることから如意輪堂という名も付けられました。後に青岸渡寺(如意輪堂)は、西国三十三所霊場の第一番札所となります。





 

 那智大滝(なちのおおたき)

「日本の滝100選」のひとつ。「日本の音風景100選」にも選定されています。
 一般に「那智の滝」といわれ、「一の滝」ともいわれるこの滝は、 落差133mの日本一の直瀑です。

熊野那智大社はこの那智の滝を神とする自然崇拝からおこった社です。



大勢の参拝客、観光客が往来する石段に座り込んで
スケッチしました。


滝を見た後、この石段を登り返すのがしんどいよ。



那智の滝からの帰り道は自動車道を歩く
大門坂の途中から大門坂口、それから旧道
中辺路道を歩いて那智駅に向かう。


下ってきた旧道(中辺路)を振り返る。



市野々王子社

 近世には那智山の末社となり、若女一王子社あるいは市野々王子と呼ばれました。明治六年に那智山の支配から離れて、村社となり王子神社と改称。近隣にあった金刀比羅神社を合祀し、現在に至るということです。


 市野々王子社を過ぎてどんどん旧道を下るとやがて那智勝浦・新宮道路(自動車専用道路)の高架下をくぐる。その先の分岐を直進(県道のまま)すると国道42号になる。信号を渡ると那智駅だが、ここに熊野古道振分石があり、左折してすぐに「浜の宮王子」跡がありました。



熊野古道振分石(浜之宮)
 古来浜之宮は熊野古道中辺路、大辺路、伊勢路の落ち合う中心宿駅で、振分石は300年毎に建替えられたとか。現在の板碑は萬治元年(1658)に建立したものらしい。


浜の宮王子社跡



  JR那智駅のすぐ近くにある那智湾に面した砂浜は、かつて観音の信者が補陀落(ふだらく)浄土を目指して船出したという特異な歴史をもつ浜でもあります。補陀落浄土とは南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことをいうらしい。
  日本においては南海の彼方の補陀落を目指して船出することを「補陀落渡海(ふだらくとかい)」といいました。


JR那智駅に着いたらタイミングよく17:17発の新宮行きの電車が入ってきた、
これを逃すと1時間待津ことになる。ラッキー! 駆け足で乗り込む。




 午後6時前に新宮駅に着く。今夜宿泊するビジネスホテルのチェックインは19:00で予約、まだ日は落ちないので熊野三山のひとつ、熊野速玉大社へ行くことにする。大体の方角はわかるので出かけたが、大雑把な手持ちの新宮市街図はわかりずらくて迷う。道を聞いたが新宮市街は変則的な道筋でピンとこない。なんとか教えてもらった方向に歩いて行くくと目印のT字路に突き当たる。ここを左へ折れてまっすぐ進むと国道42号線を越えて速玉大社に行ける。


迷い道で時間ロスしたために夕暮れがせまってきた。
薄暗くなった境内は灯籠の明かりで素敵な雰囲気を醸し出されていました。




御由緒

 熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と申します。
 御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬 を集めています。




社務所の横から本殿正面を写す。



夜桜見物もできました…




 新宮駅前の熊野交通バス乗り場へ行って時刻と乗り場を確認しに行く。熊野交通の方がいろいろ親切に教えてくれました。朝一番のバスは熊野交通ではなくて大和八木駅行きの奈良交通バスだよ。この朝一番バスは途中で川湯温泉、渡瀬温泉、湯の峰温泉と回り道するので1時間20分かかるよ。それに乗り場もここではなくて向こう側のバス停だよ。温泉町を寄り道しないバスは熊野本宮へは50分ほどとのこと。各社バスの共通時刻表をもらってホテルへ。すっかり暮れた街をまたまた道に迷いながら、やっとビジネスホテルに着きホッとする。
 
 それにしても一日2,300円JR青春18キップの旅に比べて、熊野本宮までのバス運賃片道が1,500円とはいたいなあ。でも運賃高いが、ここまで来て熊野二山では意味がないよね。さ熊野三山目指して、明朝一番の5時53分発のバスに乗り遅れないように今夜は早く寝よう Z Z Z Z・・・・