紀伊山地の霊場「熊野三山」
第2日目 熊野本宮大社と新宮散策
(2011・3・30)

 かって京都から熊野三山への参拝道を熊野古道と呼んでいました。世界で2例しかない道の世界文化遺産「熊野古道」の小辺路、大峰奥駈道、中辺路、大辺路、伊勢路の結びの地、そのすべての参拝者が目指した熊野本宮(熊野権現)へお参りしてきました。これまでに歩いた古道の1部のおいしいコース熊野古道を歩くを先にご覧いただくのもよいかと・・・・




新宮市内の西方にそびえる権現山(神倉山)
主峰の千穂ヶ峰は標高253m
(新宮城跡から写す)

 二日続いて5時起き、準備をしてホテルをでる。途中コンビニでサンドイッチと暖かい紅茶を買って新宮駅前の奈良交通バス停へいそぐ。時間通りに来た5時53分発の近鉄八木駅行バスに乗り込む。客は私一人、運転手さんと話をしながら早朝の新宮の街を走る。昨日道に迷ったおかげで新宮城跡、速玉大社(権現前)から国道42号線と走っている場所がよく分かる。神倉山の山頂近くに速玉大社風の社が見えてくる。”あれ何んですか?”と聞くと”神倉山にある速玉大社の元宮ですよ”との返事。熊野本宮詣から戻って、時間があればこの元宮と新宮城跡には登ってみよう。 バスは新宮高校で国道42号とわかれ国道168号に入る。すぐにトンネルがあり抜けると熊野川が右手から合流してくる。本宮までこの熊野川と併走する。(上図参照ください)
 熊野川は、奈良県吉野の大峰山系を源として、紀伊の海に流れ込む近畿で最長(183km)の川です。 


早朝の熊野川沿いの風景
これから紀伊山地の霊場、熊野本宮大社に行くのにふさわしい光景だ。
 この道はけっこう車の往来がある。カーブが多いのにバスをガンガン抜いていく。瀞峡観光船(ウォータージェット船)乗り場のある志古を過ぎた頃、やっと乗客が二人が乗ってきた。やがてバスは本宮町請川で左折して山側に入っていく。川湯温泉、渡瀬温泉、湯の峰温泉をまわっていくのだ。



渡瀬温泉を過ぎ、湯の峰温泉へ



立ち寄ってみたくなる風情のある湯の峰温泉

湯の峰温泉を過ぎると対向できない細い山道を下っていく。再び熊野川沿いの国道168号に合流するとそこは本宮町本宮でした。広い道の両側には郵便局や観光の店が並んでいて観光地の様相でした。まっすぐな道を進むとすぐに本宮大社前に着きました。(午前7時20分着)



熊野本宮大社

 今の本宮大社は、明治の大洪水の際に移転されたものです。以前は熊野川、音無川、岩田川、三つの河川の中洲にありました。その元の本宮があった場所が大斎原(おおゆのはら)という。本宮参拝したあと訪ねよう・・・・



熊野本宮


鳥居をくぐると、参道はいきなり急な階段となる。
(山門前から振り返る)

 熊野本宮大社の鳥居前で写真を撮っていると、先ほどバスで一緒だった女性が声をかけてきた。聞くと毎日朝一番のこのバスで本宮大社に通勤しているという。十代で巫女さんになって、いまは卒業して本宮でそのまま働いているという。熊野三山のガイド図やいろいろ情報をもらう。ただ参りするだけしか考えてなかったので助かりました。熊野古道もちょっぴり歩いてみたいというと、本宮境内の裏からつづく熊野古道(中辺路)を教えてくれました。ここから往復1時間くらいでいける展望スポットがあるという。本宮参拝してから行ってみよう・・・・・



ご門の前で桜の花が迎えてくれました。




熊野本宮大社の本殿
杉木立を背に静かに佇む桧皮葺の社殿
一番右の社殿は平成24年まで葺き替え工事中なので写していません。




 平安時代に都の人々によってはじめられた「熊野詣」、今は本宮、新宮、那智の「熊野三山」に参詣する「熊野古道」と呼ばれています。途中には熊野神の御子神を祀る「九十九王子」があります。このミニ旅では紀伊田辺から東進する「中辺路」のほんの一部、本宮からすぐの「祓戸王子」から展望を楽しめる場所までを散策しました。



祓戸王子




住宅にそって坂道を登っていくと、やがて熊野古道
らしい雰囲気の道に入っていく。


途中 、展望台への寄り道の看板が・・・


展望台を過ぎて再び古道へ戻り次の王子を目指したが
時間不足で引き返す。




熊野の山々と旧熊野本宮跡の大鳥居が望める.朝霧に霞んで神秘的な光景でした。
(本宮大社境内から30分ほど、ちょっと寄り道できる展望小公園から)




大斎原(おおゆのはら)
 熊野本宮大社の旧社地。現在では大洪水で流された中四社と下四社の神霊を祭る石の祠、切石積みの基壇が残っているだけ。ここは桜の名所になっているらしいが、今はまだ3分咲きくらいでした。



本宮前から熊野川堤防沿いを歩いて旧本宮大社跡へ




大斎原の日本一の巨大な大鳥居
高さ34メートルもあるそうです。



朝のすがすがしい日差しを浴びて大斎原を散歩?
桜も咲き出している。



大斎原の祠に参拝する人が・・




大斎原(おおゆのはら)

熊野川、音無川、岩田川、三つの河川の中洲にあり、熊野の自然が奇跡的に生んだ
神域、大斎原。その昔は熊野本宮大社が社殿を構え、悩みや苦しみを抱えた人々の
参拝が絶えない場所だった。明治になって大洪水に見舞われ、社殿の大部分が流出
したため、今では苔むした石垣や祠が残るだけだ・・・・




本宮大社前10:00発の特急バスで新宮市内へもどる。所要時行きのバスから見えた岩倉山の元宮へ行こう。登り口も神社の様子もわからないが、特急バスは権現前(速玉大社前)で停車すというのでここで下車する。

 略図にある権現山(神倉山)主峰の千穂ヶ峰への道は速玉大社への傍からつづいている。とりあえず山登り前に早めの昼食をとろうと大社前の和風作りのカフェでに入る。名物「めはり寿司」が一個ついたそば定食をいただきなあら、いろいろ情報を聞く。神倉神社はとても急な石段なので、その靴で大丈夫かと聞かれたが状況がよく理解できないまま出発しました。途中で地元の人に道を聞いたら、方向が違うという。神倉神社は800mほど南だとよと教えてもらう。


「めはり寿司」が一個ついたそば定食



神倉神社の鳥居と参道



いままでに見たことのない急な石段にびっくり
その靴で大丈夫?とさっき聞かれたことに納得する。
上から見下ろすと目がくらみ転げ落ちそうでした(@_@;)。



神様と崇められる巨岩


急な石段が終わってホッとする。



新宮市内が一望できる。





 新宮城跡
 昔からお城山と呼ばれ、郷土の文豪・佐藤春夫の小説「わんぱく時代」の舞台となったところでもある。新宮城は元々丹鶴姫が住んでいたということから「丹鶴城」、または、熊野川河口の先に太平洋を眺められることから「沖見城」とも呼ばれる。-----新宮市観光協会HPより





 城跡見学してから、新宮駅近くの徐福公園を訪ねる。立派な楼門があって、中に入ると徐福像と不老の池がある小さな庭園でした。

徐福伝説
伝承によると、徐福は秦の始皇帝に東方にある蓬莱・方丈・瀛州に不老不死の霊薬があると具申し、命を受けて財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出したというが、その内蓬莱に当たるのがここ新宮とされていて、徐福はその後新宮に住み着いたという。ここに住み着いた徐福とその従者たちは大陸からの文化や農耕、捕鯨や漁業に関する技術を新宮の人々に伝え、ここ新宮の地で歿したと伝わっている。





徐福公園の中国風楼門




 午後1時過ぎ、駅に着いたら電車は出たところで、次は15:11初の亀山行きまで電車はないという。時間つぶししなければと駅構内の観光案内所で聞くと「浮島の森」というのが近くにあると教えてくれる。




浮島の森(うきしまのもり)


 新宮藺沢浮島植物群落(しんぐういのそうきしましょくぶつぐんらく)として、1927年(昭和2年)に国の天然記念物に指定された。植物群落の全体が、沼池に浮かぶ泥炭でできた島(東西85m、南北60m)の上にあることから、こう呼ばれている。訪れたたが、密集した住宅地のなかにあって池と小さな森といった感じでした。説明を聞いてもぴんとこない(^_^;)。

紀勢線もほぼ一周できた楽しい18キップの旅でした。