地質と歴史に触れる三上山北稜登山
2005・11・9


 何十回登ったか覚えていない三上山ですが、今回は希望が丘文化公園のイベント「地質と歴史に触れる三上山北稜登山」というタイトルに魅かれて参加してきました。
 
 三上山は琵琶湖形成時の残丘で、古琵琶湖の島だったそうです。岩石は古生層が東側の花崗岩によって接触編成を受けたもので、南側に硅灰岩が形成されている。山頂部は巨大な岩石によって雄山と雌山の双頭をなしており、それは磐座(いわくら)として古代から神体山とされてきまさいた。
「記紀」によれば、山麓一帯は安国造(ヤスノクニノミヤツコ)の子孫、三上祝(ミカミノハフリ)の支配地とされています。山麓には祖神として鍛治や農業神の天御影命をまつる御上神社があり、山は藤原秀郷(俵藤太)のむかで退治伝説(御伽草子)や天保一揆の三上騒動中心地として知られている。
(ハイキングの配布資料より転載)



西ゲートより見た三上山
今日はJR野洲駅から希望ヶ丘文化公園まで歩きました。





希望が丘



西ゲートの黄葉



花緑公園へ向かって黄葉の希望が丘を出発



花緑公園よりの三上山



東光寺越えの鞍部より稜線をたどり、ヒノキやウラジロで鬱蒼とした北周りの中段の道へ入る。






今日歩いたコース
約10km

花崗岩とチャートが見られる。
チャートは古生代の海底で放散虫など珪酸質の殻をもつプランクトンの死骸が堆積したもので、三上山では約二億八千万年前の古生代二畳紀にできたものといわれている。



これはなんの実か花か?






三上山の中腹を約半周すると樹林帯から抜けて表登山道に出合う。朽ちた建物が残る妙見道跡で小休止後、表登山道で頂上を目指す。
石灯篭には「文化」の年号が刻まれていた。



少し登ったところの二の越で展望と露出したチャートを観察し、次にこの割岩の難所?を通り抜ける。



割岩を通る人を岩の上から写す。
リュックを担いだままの人でふん詰まり・大騒ぎ




表登山道の露出した岩場を登る





頂上では多勢の子どもがはしゃいでしました。
狭い山頂は満杯状態、やっと場所を見つけて昼食をとる。



下山は雌山から裏登山道を下り、中段の道を半周して花緑公園側の登山道に合流する。



このあたりから紅葉を楽しみながら歩く



好天に恵まれちょっぴり紅葉もあり楽しいハイキングとなりました。