初めての三雲城址
(みくもじょう 別名:吉永城)
2017・1・12
 山仲間のMさんから得た”三雲城址の面白い山歩きして来ましたよ”との情報に城跡好きの暇人はさっそく飛びつく、詳細なチェックをしないまま出かけました。滋賀県甲賀市水口は勤務先があって、20数年も三雲を通っていました。それなのに三雲城址があることはまったく知りませんでした。たまに車でなくJR草津線を利用して三雲駅は利用していました。この日も電車でアプローチ、草津駅で乗り換え約20分ほどで三雲駅に着く。10:45 三雲城址へ向かって旧東海道を西へ歩きだす。




旧東海道沿いの案図(部分)
10:52 駅から5分ほどの所に旧東海道沿い案内板がある。三雲城址も写真入りで載っている。写真をクリックすると三雲城址へのルートが拡大して見れます。


11:04 旧東海道の道標に出会う。
道なりに進み、JRの踏切を渡ったところにこの道標がある。

  三雲城は・・・
三雲氏の主家である安土の観音寺城主・佐々木六角高頼が逃げ込み用本城として長享ニ年(1487)、三雲典膳に築かせた城で広大な地域を有していた。織田信長の京都侵攻に際して、三雲氏は最後まで主君六角氏に従ったため、織田方の佐久間信盛の攻撃を受け山裾の三雲屋敷と共に落城した。
(案内板より)


11:12 大沙川(大砂川)隧道が見えてくる。
 明治17年(1884)に県下最初の道路トンネルとして築造されました。別名「吉永のマンポ」と呼ばれています。


マンポをくぐると天井川堤防にある弘法杉が見える。
ここに三雲城址への道案内と、旗がありました。



堤防上には細い天井川
 水は流れていない。三雲城址への土手道は木々の伐採中、もとに戻って別道を行くのも面倒なので、強引にくぐり抜ける。


堤防道には三雲城址の旗が・・・
この先で舗装路道に合流する。


三雲城址御旗に加えて
 六文銭の旗が、・・・それには”猿飛佐助のふるさと三雲城”平成二十八年NHK大河ドラマ「真田丸」とありました。どういうつながりがあるのだろう?
 

11:34 三雲城址、八丈岩への分岐に着く。
正面は湖南市の「青少年自然道場」の施設だ。



11:45 三雲城址登城口に着く
城跡はここで右へ。


 道はすぐに左右二つに分かれている。左は大手道と表記されている。右は八丈岩への道だ。まずは大手道を行こう。
 

登城口にあった三雲城址の案内図


  

城郭跡Ⅴ
右へ行けば八丈岩へ行ける。先に左の坂道で主郭跡のある頂上へ行こう。


城郭Ⅴ


城郭跡Ⅰ(主郭)へ登って行く。


虎口の石垣
 虎口(こぐち)とは中世以降の城郭における出入り口のことで、「こぐち」には狭い道・狭い口という意味がある。


城郭跡Ⅰ(主郭)の石垣が見える。

 

城郭跡Ⅰ(主郭)は平坦で広場だ。






城郭址Ⅱ(山頂部)
 山頂(標高 334m)を平坦に整えて石垣や土塁、きょがにゃ空堀で取り囲んだ強固な防御の郭(曲輪)


城郭跡Ⅳへ
この空堀の先にあります。




 

琵琶湖側の展望
中央の尖った山は三上山(近江富士)です。
霞んでいるが、その向こうに琵琶湖、さらに対岸には比良山系がある。
(山頂部より)



 

 八丈岩の背後の巨岩群の中に六角氏の家紋(隅立四ツ目)が刻まれた岩がありました。この写真もうまく撮れていないのでわかりにくいなあ。


隅立四ツ目
 

八丈岩
 三雲城の一角にある巨大な岩です。巨大な上に、前が切り立ったがけで撮影のポジションがない。岩のすぐ横からカメラを斜めにしてやっと撮れました。
 

眼下は三雲、高台の建物群はTOTOの工場です。
八丈岩から右方向の眺めです。


 

山麓の住宅街から見える八丈岩
三雲城跡がある山頂部に青白く光っている小さな四角形が八丈岩です。
旧東海道からも見ええますよ。




由良谷川隧道(天井川)
このトンネルを抜けてしばらく行くと北島酒造があるります。




北島酒造
 ここでスケッチしたかったけどパスして帰りを急ぐ。ここから旧東海道を離れ甲西駅に向かったが、駅手前で草津行きの列車が来る。間に合わない。次は30分後、待つのも嫌だったのでもう一駅先の石部駅まで歩くことにしました。



  

北島酒造
この絵は帰宅してから写真を見て描きました。


14:50 JR石部駅に着く。



JR石部駅
草津行きの電車待ちの間、スケッチをしました。