第14回 OBハイキング

大和三山・耳成山から今井町の町並み散策
2006・6・9(金)



 よい天気が数日続いていたのに、あいにくハイキング当日だけが雨と報じている。それに昨日入梅宣言がでて、どうなることか心配しながら雨模様の中滋賀の自宅を出発しました。午後から少し回復すると言うのを信じて・・・




今日歩いたコース

 京都から橿原に向かうと雨もやんできてほっとする。幹事なので30分ほど早く出かけたが、乗換駅の大和八木では懐かしい顔がちらほら・・・
不安定な天候にも負けず32名も参加してもらえました。

 耳成駅を出発するときは青空も顔を出して暑くなってきた。大和三山の一つ耳成山は駅からも見える近さだ。15分ほど住宅街を歩くと登山口に着きました。



住宅街を耳成山に向かう



雨の後なので勾配の小さい耳成山を周回してゆっくり登る道を行くことにする。登山道は樹林の中、木陰に入って涼しく快適だ。



午後登る予定の大和三山・畝傍山
後方は金剛山、右へ葛城山が続いている。
今夜までたった一箇所展望のある箇所です。



頂上手間にある耳成山口神社


耳成山(みみなしやま)

 天の香具山・畝傍山と並んで、大和三山の一つで、139メートルの低山です。山には梔子(くちなし)の木が多く、梔子山とも呼ぶようです。耳成山は死火山で、もとはもっと高い山であったのが、盆地の陥没で沈下し、山の頭部だけが残されたそうです。
・・・・説明版より


古池から耳成山を望む、対岸は耳成山公園




耳成山公園で木陰を探して昼食タイム
12:00 今井町目指して出発する。



 耳成山から西へ、大和八木駅へは約20分ほどで着きました。ここから今井町のまちなみ交流センターまでは約1kmとある。時間に余裕があるので八木駅から西に向かって飛鳥川にでる。川に沿って南へ・・・4月に下見に来たときは飛鳥川の両岸は満開の桜並木で見事でした。

今井まちなみ交流センター「華甍」
豪商が軒を連ねた今井町の歴史を展示
明治36年に建設した旧高市郡教育博物館で、昭和4年から今井町役場として使用。現在は資料室、展示室、講堂等として開放している。


 

今井まちなみ交流センター「華甍」

今井町

 かって「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁盛した町、現在も、町の大半の町屋が江戸時代の姿を残しているそうです。
・・・・ 重要伝統的建造物群保存地区 ・・・・
今井町は桃山時代から江戸時代にかけて、大阪の堺と同じように町衆が実権を握った自由都市として繁栄し、各種の商家が集まって家数も千軒を越えるほどでした・・・
豊田家住宅のパンフレットより



代表的な今井町の建物



今井町のボランティアガイドさん案内で散策に出発。ガイドさんはOB仲間のK氏の奥さんがお願いしてくださいました、感謝です。
ガイドさんよりの注意事項、説明は拡声器を使わない(実際に住まれている町なので)ことと禁煙でした。話を聞いているうちに雨が降り出す・・・天気予報が午前と午後逆だ。



しころ屋根とむしこ窓
鎧のしころのように重ねあわされている瓦屋根
ガイドさんが最初に案内してくれた建物です。
この建物の裏の道がメイン道路の「御堂筋」、ほかに本町筋、中町筋、大工町筋がある。





御堂筋を西へ、建物の説明を受けながらゆっくり散策する。



雨でしっとりとした風情の町並み




豊田家(重要文化財)
寛文二年(1662)の建築物 

むしこ窓の横に「木」の字を円で囲んだ装飾が見えます。これは江戸時代ここに住んだ牧村家の家号を表す紋所です。
牧村家は「西の木屋」と呼ばれ、材木商として栄えました。



堀があってまるでお城のようなたたずまいの今西家(重要文化財)
今井町で一番古い建物です。
慶安三年(1650)


そろそろ散策が終わりに・・・最後に立ち寄った造り酒屋さん。地酒の利き酒を楽しむ。もちろん地酒を一本お土産に買いました(^.^)。
雨はやみましたが、足元が滑りやすいので最後の畝傍山登山は中止して橿原神宮へ直行する。



橿原神宮の大きな鳥居をくぐって参道を歩く







畝傍山の登山口(左へ入る)を通過して橿原神宮の北門へ



橿原神宮で参拝


 皆さんの精進がいいので、この梅雨の時期お天気のくずれもたいしたことがなくてよかったです。
しめくくりはいつものように駅近くの喫茶店で休憩&懇談、今日のハイキングは無事終了しました。
17:00ころ橿原神宮駅からそれぞれに奈良、大阪、京都、滋賀へと帰途に着きました。
次回ハイキングは今秋ですが、さてどこにしようか・・・・いつも悩むことです。リクエストあればお知らせくださいね(^.^)。