
みなくちおかやまじょう
(古城山283m)
2014・4・19~20
”よみがえれ水口岡山城2014(4月17日~20日)”というイベントをやっているとテレビニュースを偶然に見ました。甲賀市水口町の古城山に17日、戦国時代末期に築かれ、15年で廃城となった水口岡山城が、高さ11メートルの巨大バルーンとして再現されたというものでした。ちょっと面白そうだったので退屈しのぎに出かけてきました。古城山は国道1号線経由で水口町に近づくと、ちょうどお椀を伏せたような形の単独山として見えてきてすぐにその方向がわかる。町の中心街を過ぎて山の麓までくると臨時駐車場(水口小学校グランド)が設けてあり、町おこしのイベントに力を入れているのを感じました。 |
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古城山
城跡は現在の水口城の東、古城山にあり、古城、岡山城とも呼ばれています。
”よみがえれ水口岡山城”の臨時駐車場になっていた水口小学校グランドから写す。
水口岡山城は・・・・
羽柴秀吉の命により中村一氏が1585年(天正13年)、甲賀郡の支配の拠点として築き、入城した。その時、平安の昔から、都から伊勢へと通じる街道の要所として栄えていた宿場町水口の原型をつくった。その後1590年(天正18年)に増田長盛が、1595年(文禄4年)には長束正家と五奉行を務めた2人が相次いで入城している。1600年の関ヶ原の戦いでは長束正家は西軍に属し、南宮山麓に布陣していたが戦闘には参加できず敗走。水口岡山城に籠城したが追ってきた池田長吉らに攻められ、降伏開城した。(ウィキペディアより)
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの後に廃城になり、徳川家康は水口を直轄地とする。豊臣政権の象徴であった山城は破城されてしまう。天和二年(1682)に水口藩の成立以降は御用林になりました。 |
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水口岡山城の旗に誘われて舗装路を登っていく。もう木々は新緑。いきなり観光ツアーの団体客にであう。TVの効果なんだろうか。右手に山道もあったが歩きやすいこの道を行くことにする。 |
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広場につく、ここは曲輪跡だという。頂上への道は二つほどあったが道なりにどんどん奥へ歩いて行く。 |
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1号線で水口へ向かって行くとお椀のような形だったが、この道を進んでくるとこの山はかなり細長い形になっていることがわかってくる。 |
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フラットな道でかなり奥まで来たが、いよいよ頂上目指しての上り坂になる。少し行くと分岐があり右手、曲輪跡へ行ってみることにする。 |
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この曲輪跡はかなり広い。ここに頂上方面に行く道があったので登っていく。 |
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曲輪跡から一段登ると展望が開ける。標高280mほどの低山ですが、かなり高度感がある。 |
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その上には二の丸跡が・・・
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二の丸と三の丸間にはこの凹んだ状態の空堀がある。
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さらに三の丸から本丸へ向かうところは堀切り(材木が置いてある凹み)になっている。 |
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お城の縄張り図(現地にあった案内板)
この図を見て古城山が細長い山であることを納得する。
水口岡山城跡第二次発掘調査
本丸手前の主廓部である曲輪の南側斜面で発掘実施された部分が見学できるようになっていました。甲賀市教育委員会の方だと思うが、調査資料のパンフレットを配りながら親切に教えてくれました。現況の地表面では石垣を確認できなかったそうですが、石垣の裏込め石とみられる大量の栗石が散乱し、石垣の存在が推定されたとのことです。今回の調査では大量の瓦も出土したそうです。発掘現場の写真を撮り忘れました(^^;)。 |
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やっと本丸跡に着く。ここは下の曲輪や二の丸、三の丸よりさらに広いスペースになっている。
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本丸のこの先にアドバルーンの水口岡山城があるはずだ。
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本丸下の石垣跡

本丸跡から見えるバルーンのお城
やはり城跡めぐりより、こちら目当ての子ども連れの見物客でにぎわっていました。
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これは下から見上げた古城山です。バルーンのお城が顔を出している。
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古城山で出会った人から、今日は水口町はお祭りだよと教えてもらう。”水口曳山祭り”だそうです。下山してから車を臨時駐車場に置いて水口神社を目指しました。小学校のグランドを横切って正門まで来ると学校の建物でなさそうな洋館がある。何だろうと案内板を見るとヴォーリス建築とありました。 |

これがその洋館です。旧水口図書館だそうです。
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水口祭(みなくちまつり)
古城山から歩くとけっこう距離がある。水口町の中心街まで来るとメイン道路が通行止めになっている。そして祭囃子も聞こえてきた。 |

水口神社の境内に着くと立派な山車が勢ぞろいしている。
見物客も大勢出ていて、大賑わいのお祭りでした。
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水口曳山祭
水口曳山祭は、毎年4月19~20日に滋賀県甲賀市水口町の水口神社の例祭水口祭(みなくちまつり)にあわせて催される曳山の巡行祭である。(滋賀県の無形民俗文化財)
水口町は甲賀市の中心部で、古来伊勢大路(都から伊勢の神宮への参宮道)が通る要衝として、また近世には水口藩の城下町、東海道五十三次の宿場町として栄えてきた土地であるが、江戸時代中期の享保20年(1735年)、水口神社の4月の上申日に行われていた祭礼に、当時の天神・天王・西町・東町・伝馬・悔町・新町・中町・美濃部の9ヶ村の氏子が町の更なる繁栄を祈願して曳山を新造・奉納したのに起源を持つ。(ウィキペディアより) |
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どこかで見たような人形が山車の屋根に・・
大河ドラマの”軍師官兵衛”だ。
威勢の良い祭囃子が雰囲気を盛り上げている。
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今日は史跡見物とお祭りの両方見られて幸運でした。
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