水 間 寺
みずまでら
(大阪府貝塚市水間638)
2013・12・16

  この日は夕方から大阪の中之島近くにある「マサゴ画廊」でスケッチ画家・寺田みのるさんの個展オープニングパーティがある。それまでの時間を有効に、以前から一度行きたいと思っていた貝塚の「水間寺」を目指しました。ここは「毒舌説法」で有名だった今東光さんが住職として住まれた河内のお寺だからです。作家でもある今東光さんのことは詳しくは知らない。大ヒットした映画「悪名」(勝新太郎・田宮二郎出演)で知っている程度です(^_^;)。水間寺は、もっとこじんまりとしたお寺と想像していました。行ってみると三重塔や大きな本殿もある立派なお寺でした。




水間観音駅(旧水間駅)
お寺へはここから徒歩約10分ほどでした。



太鼓橋の傍には観音像がある。
(水間寺境内)




水間寺の境内にそびえる三重塔と本堂
(どちらも貝塚市有形文化財です)



三重塔の周囲4面に
極彩色の干支の彫り物がありました。

     ・・・・ 寺伝によれば・・・

 天平年間(729年-749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したものという。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、行基が2つの川が合流する「水間」にやってくると観音の化身である16人の童子に遭遇、誘われて滝に向かうと竜神が現れ聖観音像を授けられたと伝わっている。1585年(天正13年)に堀秀政の軍勢に攻められて焼失、その後、1784年(天明4年)の火災で再び焼失した後、1811年(文化8年)に本堂が再建され、1827年(文政10年)には他の堂宇も再建された。

     ・・・・ 三重塔 ・・・・

 かっては多宝塔で多宝如来を安置していた。記録には孝謙天皇が舎利塔を安置したと伝える。天正の兵乱に焼失したので、萬治年間に改めて三層の塔を建て、釈迦仏の像を安置した。
 井原西鶴の「日本永代蔵」に記されたことで全国的に知られるようになった。そのモデルの塔と考えられる。現在の塔は天保5年(1834)の再建となる。





本堂正面
絵になりそうだが、お参りだけして散策を続けることにする。








  
 本堂のある境内ではスケッチする気が起こらないので、とりあえず本堂の裏にある水間公園へ行ってみよう。小川を渡ると石段の先にお堂が見える。行基堂のようだ、水間寺は聖武天皇の勅願により行基が開創したから祀られているのだろう。その先が上が水間公園となっているようだ。



水間寺の裏山にある水間公園
(小高い山の上の広場)




貝塚市街展望(西北方面かな?)
大阪湾、その向こうは明石海峡
左端には関空もあるはずだが・・・・



左の広場から下に見える橋へ行ってみよう。
橋を渡って 左手へ、再び公園へ行くと
そこに偏照寺への道標が・・・



偏照寺への道
いつものごとく歩きの虫がなきだして・・・
山道へ入って行く。


  
 偏照寺は山の上だと思っていたが、しばらく行くと道はやがて下り坂になる。しかたないので道なりに下って行くと石仏たちが現れる。さらに下って行くとやがて遍照寺の本堂が現れるました。



遍照寺本堂



遍照寺からの展望





木々の紅葉でまるで山が萌えているようだ。
(偏照寺の本堂からの風景です。 見えている架橋は阪和道のようだ)
橋のかかっているこの景色が気にいって描いたけど、平凡な構図の絵になってしまった。



帰りの時間がせまってきたので急いでスケッチを切り上げ、偏照寺から下っていく。
いま歩いてきた山を左手に見て適当に歩いて行くと水間寺の裏に戻れました。




裏側から見る水間寺の三重塔
さあ、水間鉄道の駅へ急ごう・・・



駅に近づいたら発車ベルが聞こえる、いそいだがタッチの差で貝塚行きの電車が出てしまった。
次の電車待ちが20分もある。そこで駅に展示してあった旧車輌をスケッチすることにしました。



水間鉄道の旧車輌「553」

貝塚と水間を結ぶ水間鉄道は1925年(大正14年)に参拝客を運ぶために開通した。



なんとか午後5時ころ淀屋橋に帰りつき、オープニングパーティに間に合いました。
いつもながらの寄り道、お付き合いありがとうございました。