磨崖仏訪ねて妙光寺山へ

(滋賀県野洲市妙光寺)
2015・3・18

 この日は自宅から歩いて三上山(近江富士)の北に位置する標高270mの低山・妙光寺山へ出かけました。そのきっかけは、先月2月に山友達のトウドウさん達を田中山から三上山への北尾根縦走路を案内した時、分岐点で妙光寺山の話しをしたことを思い出したからです。その時は皆さんの時間的な余裕がなく案内できませんでした。私自身も妙光寺山へ登るのはしばらくぶりなので行くことにしました。


 

自宅から歩いて約1時間、野洲川大橋に着く。
 国道8号線にあるこの橋は、滋賀県守山市と野洲市の境界を流れる野洲川にかかっています。橋の正面に三上山(近江富士)が見える。その左に、これから向かう妙光寺山が見えています。
 

国道8号線
 御神神社を過ぎたところにあるこの信号「三上」から数分歩くと国道8号線から右斜めに入る道がある。そこから大きな工場を右手に進むとT字路に、そこを右折して道なりに進むと妙光寺山登山口に着きます。
 

 これが光明寺山へ向かう道です。道なりに三上山裾の方に入って行くと妙光寺山と三上山の間にある神秘色をした御池に着きます。





  

御池に入って行く手前(現在地)にあった案内図です。

 地図の下にある三上山から上部の田中山までが「北縦走路」になっています。そのほほ中間に妙光寺山への分岐点があります。今回は来た縦走路からではなく、直接妙光寺山へ登り、磨崖仏のある反対側の登山口へ下山しました。赤ラインが今日歩いた道です。




 

獣除けの扉を開けて御池の堤防道を行く。
道なりに奥へ進むと出世不動明王への参道です。

 

池畔にある三上神社の小さな社
 ※ここに祀られている小さな社は国道8号沿いにある御神神社ではありません。
  

静寂・
神秘的な青色の水面の御池と妙光寺山
対岸の道は三上神社の参道です。
 

守山市、野洲方面が望める。
(御池を回り込んだところから)
 

三上神社側から見た三上山
見えている道は歩いてきた堤防道です。
 

御池から登山口のある出世不動明王への参道
 以前来た時より道は広く整備されている。鬱蒼としていた感じだったが木々が剪定(伐採?)されていて明るい。
 

石仏の横に可憐なショウジョウバカマが・・・
(左の写真の石仏を拡大しています。)

 

出世不動明王に着きました。
 

境内右には不動堂があり・・・
 

妙光寺山への登山道は境内左手にある。
 

登山道から見える三上山
 

トウドウさんたちを案内したときの北尾根縦走路
左から右端の三上山山麓へつづく尾根道が見えています。
 

道は花崗岩の砂、ずるずるとしていて滑りやすい。

 

登山道から草津市街のビル街が見える。
琵琶湖は霞んでいるが比叡の山並みが望める。
   
 登りきると尾根に着く。そこは北尾根縦走路の分岐から来た妙光寺山山頂への縦走路でした。ここで左へとり妙光寺山頂へ向かう。少し進むと右へ下る分岐(小さな案内板がある)がある。ここは反対側の野洲中学校方面にある登山口に下る道で、途中で磨崖仏へ立ち寄ることができます。とりあえず尾根道を直進して妙光寺山頂へむかう。やがて道は樹林におおわれて三上山がかろうじて見える程度です。妙光寺山山頂(右上の写真)は雑木林の中だで展望はありません。表示がなかったら山頂なのかどうかわからない場所、すぐに折り返して磨崖仏へ下る分岐点まで戻ることにしました。
 

磨崖仏へ下る分岐点の手前で田中山が見えている。
下山して余裕があったら登ってみようかな・・・
 

 岩が露出しているピークを越えて行くと田中山と三上山をつなぐ北尾根縦走路に合流します。
 

 下って行くと道標のある分岐に着く。磨崖仏はここを左へ70m、直進して下ると登山口に降り立ちます。


磨崖仏の手前に石窟があり
このすぐ先が妙光寺磨崖仏があります。
 
 

妙光寺山磨崖仏

 崖に露出した岩に高さ160cmの地蔵立像を掘出したもので、書込地蔵とも呼ばれています。鎌倉時代。元享4年(1324)7月10日の造立とある。磨崖仏の銘が残っている貴重なもです。
 

下山道
樹林の間から登山口のある林道が見えてきました。
 

林道から振り返って登山口を写す。
こちら側も獣除けの柵に囲われていました。
 

林道を左へ下り、JR野洲駅へ向かう。
距離は2kmほどだろうか・・・
 

いま下ってきた妙光寺山です。
田んぼの畔には梅の花が満開でした。
 *** 追 記 ***
 後で知ったことですが、近江に魅せられ何度も訪れてたよいう白洲正子さん。訪れた近江湖南エリアに金勝寺、天狗岩、狛坂磨崖仏、三上山に加えてこの妙光寺山が書き留められているのが興味深い。

  ・・・ 「この辺ではなんと呼んでいるか知らないが、〆縄をはって、お供えなどしてあるのを見ると、村人の信仰は生きつづけているらしい。後で聞いた話によれば、この山は妙光寺山といい、漢代の鏡なども発掘されたと聞く。」 ・・・  白洲正子さんの『かくれ里』より