西の湖散策
2009年11月4日

 絵友達が開いているはがき絵教室の作品展が近江八幡で開催しているというので訪ねた。葉書絵展をを見た後、暖かい散歩日和なので、どこかスケッチしたくなって近江八幡市街を歩き出す。そうだこの前整備中だった豊臣秀次屋敷跡がどのようになっているかが気になり、八幡公園へ向かう。秀次の屋敷跡はこの公園に隣接している。天正13年(1585年)羽柴秀次によって八幡山に八幡山城が築かれました。屋敷跡はこの山頂の城郭へ登っていく大手道にある。




大手道
この道に雛壇上に平坦地を設けて家臣団の屋敷が建てられていたという。いまは写真のように竹藪だ・・・



石垣が残っている、この平坦地も家臣団の屋敷跡だろう・・・




城壁の石垣

大手道の突き当りが秀次の屋敷跡だが石垣だけが・・・
以前訪問したときのままだ。この上は樹林に覆われていてこれ以上は進めない。



石垣のある広場
(右上の写真と同じ場所)
秀次の重臣の屋敷跡だろうか・・・
説明や案内板はなにもないのでわからない。

 八幡山城は秀次の後、京極高次が入城したが文禄4年(1595年)に大津城に移ると八幡城は廃城となった。同年、豊臣秀次は秀吉によって高野山で自刃させられた。城は廃されたたが、秀次が築いた城下町は近江商人の町として江戸時代を通じて繁栄した。山麓には琵琶湖から水を引いた八幡堀をめぐらし、城の堀と運河の役目も果たし、商業の発展に寄与した。その面影が残っている八幡掘りは観光名所となって今もにぎわっています。ここは何度もスケッチに来ているなあ。


今日は何度も散策している八幡掘りはパスしよう。暖かい陽気なので、西の湖周囲の道(葦笛ロード)を歩いてみよう。
安土まではそんなに遠くないから今日のゴールは安土駅と決めて歩き出す。
西の湖はよく登っている八幡山や繖山から展望かできる。なかなか風情のある光景ですよ。



北向き観音からの琵琶湖方面の眺め

琵琶湖の手前が西の湖です。
安土の町と安土山は手前の山並みの影になって見えていません。
左から長命寺山、津田山、沖島が・・・琵琶湖の対岸には比良山系が連なっている。
(この場所は繖山から縦走できる猪子山から今年の9月に撮影したものです)






安土城跡の案内板で内湖の埋め立て前の様子を知る。

 戦前から戦後にかけて食糧不足を補うために大規模な干拓されました。それまでは琵琶湖周囲に沢山の内湖(後述の資料図を参照ください)があったという。左の略図と比べるとその干拓の規模がよくわかるでしょう。それに織田信長が築城した安土城のあった安土山が湖に囲まれていて、自然の要害地だったことが想像できます。
11月4日 赤いラインを近江八幡駅から安土へ歩く。西の湖に興味があったので二日後の11月6日に再度行ってきました。
 この日はいろいろ寄り道したくて、安土駅前でレンタサイクルを借りて回りました。



八幡堀から市街を抜けて田畑の中の東北東へ向かう一直線の道歩いて西の湖に着く。



水郷に架かる橋の上から
近江八幡市の市街が遠くに展望できる。三角錐の山は野洲の三上山(近江富士)です。この山は滋賀県中で遠く離れた所からでもよく見えるし、よく判別できる山だ。



小高くなった蛇砂川(?)の橋上からの眺め、もうすぐ西の湖だが葦に囲まれて水面は見えていない。写真中央遠方に安土の町が見えている。その後ろは観音寺正寺のある繖山(きぬがさ)が、そして蛇砂川のブルーの標識の後ろの低山が織田信長の居城のあった安土山です。



西の湖

左端の山は彦根の荒神山、その山に重なった薄い山影は滋賀県の最高峰・伊吹山(約1300m)です。それに続いて鈴鹿山系が続いている。中央から右にある湖岸沿いの山が信長の安土山です。



西の湖周囲を走る歩行・サイクリングの為の葦笛ロード
上の西の湖は木が三本植わっている展望&休憩所からの風景です。ここで休憩&昼食をとってから葦笛ロードを安土の町目指して歩く。



振り返ると近江八幡の山々が・・・
一番左端が八幡山です。





西の湖、安土側からの眺め



西の湖にちょっと張り出した安土海洋センターのある下豊浦。漁村ではなくて新興住宅地だ。



安土の町が近づいてきた。
左に安土山、右に繖山

歩くと汗ばむ陽気、ゆっくり歩いたのにちょっぴり疲れて、街を散策せずに安土駅へ向かう。西の湖の対岸(北側)は次回歩いてみよう。



・・・と思っていたが、意外と二日後の11月6日再び安土へ足が向いていました(^.^)。
今回は繖山山麓の安土城考古博物館をスケッチしたいので広い大中の湖干拓地まで回るには歩きではつらい。それで駅前でレンタサイクルを借りて出発する。JR東海道線を挟んで西の湖と反対側(南側)にある沙沙貴神社から繖山山麓を経由して、安土山、大中の湖干拓地、西の湖と回る予定です。



沙沙貴神社(ささきじんじゃ)の山門

 滋賀県蒲生郡安土町にある神社である。少彦名命を主祭神として計四座五柱の神々を祀り、「佐佐木大明神」と総称する。佐佐木源氏の氏神であり、佐々木姓発祥地に鎮座する。




瓢箪山古墳からの繖山

 弥生時代の村として知られる大中の湖南遺跡から約1kmほど離れた繖山山麓に安土瓢箪山古墳という全長160mの前方後円墳が造られた。滋賀県を代表する古墳時代(約300年)前期の古墳である。
いまは写真のように樹林と雑木で覆われていて全体は見渡せません。



ちょっとシックでヨーロッパ風の安土城考古博物館


近江風土紀の丘

 ここには安土城天主の模型のある信長の館などもある。1992年スペイン・セビリア万国博覧会の日本館メイン展示に出展された、安土城最上部5・6階部分を、万博終了後、安土町が譲りうけ展示してます。この部分は絢爛豪華な信長の居室だ・・・・


ゆっくりスケッチしながら昼食をとる。気持ちのよいエリアだ。
昼食後、安土山の裏側を走って大中の湖干拓地へ向かう。信長の築城した時代は山の周囲は湖が迫っていたのだなあとイメージを膨らませながら・・・・


安土山の裏側を走る葦笛ロードから

中央の小高い森のように見えるのは安土山の先端です。安土城のあった山頂は右側へ続いている山影だ。
左に見えている山は繖山です。西国第三十二札所の観音正寺や佐々木城跡などがある。

佐々木城は・・・
 別名を観音寺城といい、近江佐々木荘に根を張った宇多源氏の佐々木一族、源頼朝の挙兵時に従った佐々木氏ゆかりの城。本格的な石垣造りの山城として名高い。




大中の湖の干拓地南遺跡などを走り回ってやっと西の湖に着く。西の湖は葦原に覆われてまるで大草原のよう・・・
手前が安土山、後方に重なっているのが繖山(観音寺山)です。

大中の湖南遺跡

 「大中の湖干拓事業」の工事中に発見された遺跡で弥生時代中期の農耕集落遺跡です。木偶などの出土品は、安土城考古博物館に展示されています。 現在は史跡公園となっており、弥生時代の住居が再現され、古代の生活を体験することができます。
近畿圏における大規模な農耕集団の遺跡として話題を呼んだとある。


大中の湖干拓地

 第2次世界大戦からの食糧不足をカバーするための一つとして大中の湖の干拓工事がはじまりました。琵琶湖の周囲には、かつて40あまりの内湖がありましたが、昭和40年までに15の内湖が干拓されたと聞く。その中でこの大中の湖は最も大きな内湖で、昭和32年から着工、総工費32億円をかけて42年にやっと完成しました。

はじめて知ったこと・・・・
この大中の湖干拓地の最も低い所は、びわ湖の水面より3m低いとか、干拓地のまわりを堤防(道路として共用)がとりまいて、外側の西の湖やびわ湖、川の水の侵入を防いでいる。干拓地の真中に掘られた幹線排水路の終点のポンプ場から、絶えずびわ湖の方へ排水しているとある。
近畿農政局整備部のWebサイトより転載させていただきました。



西のこの堤防(道路として共用)は大中の湖干拓地の堤防ともなっている。



安土に近づいてくるとやっと水面が顔を出してくる。
絵になりそうなところだなあ

湖面が見えてくるともう安土だ。
いつも歩き大好きの私ですが、今日は自転車の威力を痛感しました。
楽しい歴史散歩となりました。