古都奈良、西ノ京あたり歴史ハイク
2003・12・2

 OB会の忘年会に誘われ奈良に行くことになる。夕方までたっぷり時間があるのでスケッチ兼ねて歴史ハイクをしてきました。奈良生まれなのに大和郡山城跡や秋篠寺、成務天皇陵などはじめて訪問でした。
郡山城跡由来
 この郡山城跡は、天正八年(1580)筒井順慶が、当時この付近一帯に館を築きそれぞれ割拠していた豪族たちを平定、織田信長の力を背景に大和一国の安定勢力として築城したところである。
 その後豊臣大納言秀長が兄秀吉の命を受け、俗に言う百万石の禄高をもって天正十三年(1585)入城、今日に残る本格的城郭の構築を開始すると共に、城下町の建設にも力を尽くし、次いで益田長盛の代にいたってその総縄張りが完成した。
 以来水野、松平、本多氏等徳川譜代の功臣名家の居城となったが、享保九年(1724)柳沢氏十五万石余をもってここに入り、以後明治維新まで続いた。
 天主台周辺の野面積(のづらつみ)の石垣には平城京羅城門の礎石や石地蔵、五輪等など仏石に類するものが多く使用されており、城郭史上特異な存在として知られている。・・・・・・奈良県指定史跡(案内板より転載しました)
柳沢神社
現在の境内は元のお城の本丸です。この柳澤神社は明治十三年創建、御祭神は柳澤美濃守吉保公です。柳澤吉保公は五代将軍徳川綱吉に仕え側用人を勤め十五万石を与えられた。
郡山城跡内で懐かしい建物に出会いました。
奈良に住んでいたころ、近くの興福寺境内(奈良公園)にあった県立奈良図書館の建物です。昭和45年に郡山城跡のに移築され現役(郡山市民集会所)で働いています。
 大和西大寺で柏原神宮行きの普通に乗り換えて二つ目が西ノ京駅です。すぐのところに薬師寺入り口があるが今日は見学せず、六条山(西へ)へ歩く。奥柳バス停で左折、大池に沿って国立療養所西奈良病院内の薬師寺遠望ポイントに着く。薬師寺といえばここからの写真が有名です。さっそくスケッチをしました。
 西奈良病院の中を通り六条山のバス停を越えて赤膚焼きの窯元目指して歩き出した。自動車学校の左手に雑木林へ入る道があり、黄葉が綺麗なことと舗装道路歩きを避けるため入っていく。しばし山歩きの感触を楽しんでいたが、出たところがどのあたりかわからない(^_^;)。地元の人に聞くと赤膚山とはかなり離れたところだという。リハビリ歩きが目的なので大回りして赤膚山経由で西ノ京駅まで戻りました。
 奈良では有名な赤膚焼きですが、赤膚山には窯元が3軒ほどで、信楽の窯元や陶器店がずらっと並んだ印象が強い私にはちょっと拍子抜けがしました。陶器のことよく解からないしお金もない、どんなのか興味はあるが入りにくそうなので通り過ぎてしまいました(^_^;)
拝観料を節約してスケッチポイントを探しながら薬師寺の周りを一周したがなかなかいいところが見つからず断念。
思いつきで郡山城跡へ行くことにして電車に乗る。郡山は二つ目くらいですぐに着く。
平山画伯が30年かけて完成した力作、玄奘三蔵院の大壁画は公開期間が終わっていて見れなくて残念でした。
郡山城の隅櫓と追手門
どっしりとした追手門
お堀と石垣
お堀の横を走る近鉄橿原線の電車
郡山から近鉄電車で西大寺へ戻る。まだ時間があるので奈良市指定の歴史の道をたどり、徒歩数分の西大寺から秋篠寺、平城駅近くの神功皇后陵、成務天皇陵をまわって西大寺に戻りました。
秋篠寺の南門
本堂:創建当初は講堂として建立された。鎌倉時代の建築、奈良時代建築の伝統を生かした単純素朴な建物になっている。
南門を入った静寂な境内だ。樹林の白壁の向こうに本堂が見える。この雑木林は金堂跡です。
西大寺の四王金堂
本堂
西大寺は奈良時代に称徳天皇(しょうとく)の勅願により建立されたが、平安時代に一時衰退。鎌倉時代に稀代の名僧、興正菩薩叡尊上人によって再興され、真言律宗の総本山として法燈を今に伝えている。
秋篠寺沿革:奈良時代末期宝亀七年(776)光仁天皇の勅願により地を平城宮大極殿西北の高台に占め、薬師如来を本尊と拝し僧正善珠大徳の開基になる造営は、次代桓武天皇の勅旨に引き継がれ平安遷都とほぼ時を同じくしてその完成を見た。
本堂内には薬師如来、日光月光菩薩、十二神将、帝釈天、伎芸天がずらっと並び、ごく近くで拝観できるのがありがたい。そのほほえみにファンが多い伎芸天は、東洋のミューズ”と称される芸能の仏様。
成務天皇陵とそのお堀全長219mの前方後円墳。細い道を隔てて日葉酢媛命陵(ひばすひめのみこと)が隣接している。大規模な古墳がこれほど接して作られた例は全国的でも少ないとのこと。
奈良生まれの私ですが、薬師寺以外は初めての訪問で意外と訪れていないスポットでした。歴史散歩ってなかなかいいですね。足腰のトラブルで山歩きが難しくなった今、これからも歴史散歩して行こうと思っています。