JR能登川駅から繖山へ
2005・11・17

繖山は近江源氏の嫡流で中世近江国を400年間にわたって支配した、佐々木六角氏の居城でした。
本格的にその体裁を整えたのは、応仁・文明の乱(1467〜77)だそうです。
永禄11年(1568)将軍、足利義昭を擁して京都へ上らんとした織田信長に抵抗したため攻撃され落城しました。


 JR能登川駅から繖山へはまだ登ったことがありませんでした。まつしさんの歩かれた情報をもとにさっそく出かけてきました。登山口があるという猪子公園は県立能登川高校の横にあり、すぐ見つかりました。ここには大きな案内板があり、おおよその状況がつかめる。少し先に石の鳥居があり、幅広の参道にまた案内図が・・・この鳥居の右横から登山道があったが、舗装路を登って北向十一面岩屋観音さんを経由するルートを行くことにしました。早朝から散歩なのか、お参りの人なのかポツポツと人に出会う。散歩に行くという親切なおばさんが観音さんまで案内をしてくれました。


今日歩いたルートのGPS軌跡



北向十一面岩屋観音への舗装路(参道?)



岩船社

 この岩船社は、神亀五年(728)比良の山より湖上を渡られた比良大神(白髭明神)がご乗船された岩船の渡湖の際、先導された津速霊大神が祀られている。気がつかなかったが、ちかくに岩船があるのだろう・・・



猪子山の古墳群

古墳時代後期に山麓から中腹にかけてつくられたものらしい。
この地方の豪族のものらしい。





400段ほどの石段の参道

ここまでは幅広の舗装路だったが、けっこう急な坂道でひと汗かきました。このまま舗装路でも行けるが、皆さんこの石段を上り下りされていました。



猪子山(267m)の頂上にある観音堂が近づいてくると木々も黄葉してくる。「休憩しないで元気ですね」と声をかけたら「いつもは何度も一服しますよ!今日は案内しようと頑張りました」と返事が返ってきました(^.^)。




観音堂は大きな岩に張り付くように建っていました。ちょうど読経の最中、一緒に拝ませてもらいました。お菓子やお漬物にお茶のサービスがあり、参拝の人達と談笑。今日17日は観音さんの月命日ということで賑わっているとのことでした。



お堂の右手は素晴らしい展望だ。
手前は中ノ湖、琵琶湖の向こうには頂上に雪を載せた比良山脈が望める。
お堂の左手から繖山への道があり、すぐ上に猪子山の四等三角点がありました。



観音堂の手前から展望できた繖山
稜線の途切れているところが地獄越とすごい名前がついている鞍部になっている。
能登川の須田集落と五個荘側の石馬寺の集落を結ぶ峠越えの道がこの稜線歩きのコースとクロスしています。



猪子山を過ぎて稜線歩きになると雑木や植林帯になり、展望はなくなる。途中樹林の合間から三上山が見えました。


すこし黄葉した雑木の稜線




手前の森のように見えるのは織田信長の居城あとのある安土山。西湖(琵琶湖の内湖)を挟んで近江八幡市街と八幡山。さらにその奥には琵琶湖と対岸の比叡山から比良山脈が見える。



繖山の稜線と山頂

繖山へはここから一旦地獄越の峠まで見えている稜線を上り返すことになる。



雨宮龍神の鳥居




鳥居をくぐり石段を登ったところにある雨宮龍神の社。ちょっとした広場になっているが周囲は木々で展望はあまり良くない。
猪子山から3度ほどアップダウンを繰り返し336mのピークを過ぎたところに石馬寺(0・6km左手へ下る)の分岐を通過する。やがて平坦な尾根道歩きになり前方に鳥居と社が見えてくる、雨宮龍神だ。ここからも石馬寺(0.6km)へ下る分岐がある。ここからの石馬寺への道は立派な石畳が整備してある。



分岐にある道標



石馬寺へ下る石畳



雨宮龍神の右横を一気に下ると地獄越えに着く。


地獄越には小さなお地蔵(中央の小さな小屋)があり、五差路になっていました。
お地蔵さんの後へ下ると繖公園・トンネル入り口へ0・4k。左端方向は石馬寺0・6k。右手の木段が繖山への登り。手前がいま下山してきた道。繖山への道との間の草むらが須田1.1k・須田不動の滝0・4kへ下る道となっている。道標があり迷うことはありません。
(標高 217.6m)



地獄越えから繖山へは木段道をどんどん登っていく。山火事の後やっと植林などの復旧作業のおかげでやっとここまで草木が生えてきたところです。高い樹木がないから展望がよい。道には「湖国一のパノラマ」と書いてありました(^_^;)。







振り返ると琵琶湖の対岸に湖北の山々が望めます。緑に覆われた手前の低山が今歩いてきた尾根道。ピークの崎が観音堂のある猪子山です。



繖山の山麓はまだまだ低木と草、頂上まで見渡せる。左から二つコブを越えた三つ目のピークが繖山の頂上(立木が見える)です。




11時過ぎだが展望がいいので早めの昼食&休憩とする。
ほとんど360度が見渡せる。


鈴鹿山脈も一望できました。わかるのは左端の伊吹山とそれにつづく霊仙山くらいでした(^_^;)。

帰宅してから地図で見ると・・・
 左から伊吹・霊仙・鍋尻山・烏帽子岳・三国岳・鈴ヶ岳・御池岳・藤原岳・竜ヶ岳・釈迦ヶ岳・雨乞岳・御在所山・綿向山・鎌ヶ岳・仙ヶ岳・・・油日岳と1000m級の山々が並んでいる約50kmものロング山脈です。

・・・・ ただし ・・・・
「藤原・竜・などは前の押立山・日本コバに隠れて見えません。北から主なピークは伊吹・霊仙・鍋尻・御池・天狗堂・押立山・日本コバ・銚子ケ口・雨乞・綿向と見えます。」
・・・・と鈴鹿に詳しいなかがわさんから教えていただきました。





頂上近くからの安土山




 この黄葉した樹林帯に入るとすぐに繖山の頂上です。



 安土城考古博物館裏から登ってくる道と合流する頂上。
 ここから少し歩いたところに観音正寺への道(T字路)があり二手に分かれています。いつもはわかりやすい右ルート(観音寺城跡も見られます)を行きますが、今日は左ルートを選択。




佐佐木城址の石碑

 左ルート道はこの石碑の裏に出てくるので石碑名がわからない。知らないとそのまま通り過ぎてしまう。この石碑で道は三つに分岐しているが道標は見当たらなかった。直進してみたら観音正寺の奥之院があり正しかったことがわかる。



奥之院

急な石段にはロープが・・・
 大きな岩の前に小さな社があり、幸運にも11月1日より1ヶ月間のみご開帳でした。あとで観音正寺の茶店のおばさんに「岩に掘られた仏様」があると教えてもらいました。よくわからなかったというと私もそうですよ!でもはっきり見えたという人もいるとも話していました。信心がたらないのかなあ・・・


奥之院の鳥居

奥之院から少し下ると「風神・雷神岩」があり、さらに急な石段を下りて、この鳥居に出ました。ここは五個荘川からの車で登ってきた時の参道になっている。駐車場は右手方向、左手が観音正寺です。

巨石・奇岩が累々と重なる観音正寺の奥の院。この繖山にも、このような僧が草庵を結び修行したことは、奥の院に浮彫されている7驅の仏菩薩からも明らかです。観音正寺も案外、このような修行僧の草庵から始まったかもしれません。
(観音正寺のHPより一部転載させてもらいました)



仁王像

今年の春登った時にはなかったというと、茶店のおばさんが二週間前くらいに現れたといいっていました。




観音正寺

 当山は、琵琶湖の東、標高四三三mの繖山の山上にある古刹です。寺伝によれば用命天皇の勅願により推古十三年(六〇五)、聖徳太子が創建され近江国十二箇所の祈願寺の一つとして、太子自ら千手観音の像を刻まれ、この地に安置されたとあります。(HPより一部転載)
 しかし、平成五年五月二十二日、本堂・ご本尊が灰燼に帰し、昨年本堂と総白檀の世界一大きな観音さま『丈六千手千眼観世音菩薩』がめでたく落慶法要されました。





観音正寺正面から境内を見る。一番奥が10年ぶり?に昨年落慶法要された本堂です。




表参道の石段を下る(石寺の集落へ出ます)。
今回は途中で左道に入り教林坊の紅葉見物にむかいました。



教林坊

残念ながら紅葉のピークはもう少し先。入場せずに帰りました(^_^;)



石寺の集落

 ここからJR安土駅までは約3・5kもあるがバスの便がわからず、歩きました。
舗装路歩きは疲れますね。