癒しの出前「絵手紙教室」

2011・10・14〜18
東北震災の被災地へ絵仲間とボランティアに行ってきました。

 この絵手紙教室は人材育成型サイト「メンター・ダイヤモンド」を運営する関東や関西の大学生ボランティアらが企画。この企画に、いつものスケッチ仲間三人で協力・参加してきました。行き先は宮城県亘理郡山元町の仮設住宅です。事前にインターネットで山元町のHPへアクセス。おおよその状況をチェックしましたが、現地でどのようにお役にたてるか少々不安を持ちながら出発しました。




JR白石駅
 訪問する山元町は白石市から約30kmほど離れたところだが宿泊するところがない。ということでこの町(白石市)のホテルに泊まることになった。


1メートル以上浮出したマンホールにびっくり
 白石の町は被災地からかなり離れているのに、地盤が悪いところがあって、特に歩道はかなり地震の被害を受けていました。


 訪問する山元町の仮設住宅までは白石市から車で約1時間でした。山元町に近づくまではのどかな田園風景がつづいて、地震や津波の影響はわからない。しかし、山元町に入ると道路のあちこちが地震の影響で歪んでいる。それに加えて住宅の瓦屋根にブルーシートが・・・。仮設住宅は国道6号の山元町役場手前から右手の山側へ入っていったところにありました。仮設住宅の回りはこのスケッチのような自然いっぱい、りんご園のそばにありました。




仮設住宅近くの風景




山元町浅生原内手の仮設住宅

 地震や津波の被災地(沿岸部)からはかなり離れている。山元町浅生原には他に、こんな仮設住宅が二箇所ほどありました。周囲にはりんご農園が広がっている。山元町の特産はこの「リンゴとイチゴ」です。


・・・・ お絵かき教室の開催は仮設住宅地の中にある集会所 ・・・・

 集会所に着くと、もう子供たちが待っていました。さっそく絵描き用の道具や用紙をセット、お絵かき教室がはじまる。この集会所では先行して関東から来ているボランティア(大学生と職員さん)がすでにカフェを開いていて仮設住宅に住んでいる子供たちと仲良しになって待っていてくれました。絵を描いたり走り回ったり、集会所は元気な子供たちでいっきに活気がみなぎる。子供に誘われて、おばあちゃんやお母さんも参加してくれて賑やかになりました。

写真は、お絵かき教室の和やかな一コマです。



河北新報の記事

地元紙「河北新報」の取材を受けた記事が10月27日に掲載されました。大学生の明るい笑顔のサポーターに子供たちが夢中になってお絵か描きしています。元気いっぱい楽しい一時が仮設住宅の集会所に広がりました。小さな子供たちは絵を描くのが大好き、沢山のユニークな芸術作品?に圧倒されました。われわれ参加した絵仲間は小さなアーチストに完敗でした。(この記事はタマちゃん先生から入手しました。)




リーダーのタマちゃん先生の似顔絵コーナー

被災され仮説にお住いのおばあちゃん、優しく話しかけるタマちゃんに災害時のことをいろいろ話してくれました。
子供たちにも囲まれ、似顔絵描いてもらって笑顔いっぱい、とても喜んでもらえました。




 出かける前は少々不安だった「お絵かき教室」の出前ボランティアでしたが、子供たちにこちらが元気をもらって、二日間はあっという間に終わりました。帰り際に仲良しになった子供たちが”明日はもう来ないの?” と、いつまでも手を振って見送ってくれました。うれしかったなあ〜
 その翌日は子供たちの描いた沢山の絵をもって山元町の郵便局を訪問、待合ロビーに展示して町民の皆さんに見てもらえるように用紙に貼り付け局長さんにお渡しする。郵便局の職員の方々はとても親切で、お絵かき教室にも参加・協力してくれました。




・・・・ 地震・津波の被災現場を訪問 ・・・・

郵便局の訪問後、津波被害の大きな亘理町荒浜(山元町の隣町)を訪問しました。
常磐線の亘理駅を過ぎて約4kmほど海岸線に向かって走ると常磐自動車道(高速道路)がある。そこまでは大きな被害は目に入らなかったが、道路をくぐると景色は一変しました。瓦礫は片付けられて一面広大な平地になっている。ぽつぽつと残っている住宅も一階は破壊され、誰も住んでいないようだ。
 津波被害の境界線になったのは平地よりかさ上げされたこの常磐道でした。この道が堤防となって津波を防いだと聞きました。被災から7ヵ月が経過して瓦礫は片付けられ、山のように積み上げられていました。作業は継続して今も行われていました。



漁港では活動が始まっていたが・・・・
破壊された岸壁が痛々しい姿を残したままでした。


小山の上で重機が動いている。あたりは雑草も生え、
ぽつんと一つ残って廃墟となったビルが見えている。


持ち上げられたようになっているコンクリート基礎
これからどのように復興したらよいのか想像が
つかない状態でした。



右に見える船は修理を待っている。
二人が手仕事で作業をされていましたが
いつ治るのだろうか・・・・



瓦礫の中にコンクリートの建物が見えている。
想像もつかない自然の脅威を実感する。



瓦礫の山と浮かび上がった住宅のコンクリート基礎


津波の被災地、亘理郡亘理町の荒浜港付近のむなしい光景でした。
この被災地の現状を見て、一日も早い復興を祈るのみでした。