奈良・大宇陀散策
2010・3・8

 最近テレビ放映など何度か紹介されているのを見て、スケッチ兼ねて「旧大宇陀松山町」の重要伝統的建造物群保存地区を散策に出かけてきました。またここが城下町として発展した一つの理由は交通の要衝だったことがあげられる。いつものごとく、インターネットで交通手段と簡単な情報をチェックしただけで電車に飛び乗る(^_^;)。滋賀守山からは京都で近鉄に乗り換え榛原駅へ、所要時間が約2時間とけっこう遠い。とにかく榛原駅から大宇陀行きのバスで大淀高校前へ。案内地図も持たずに町屋探訪に・・・




京都から橿原神宮行きの急行に・・・・
スケッチの手ならしに車内でスケッチをする。



 大淀高校前で下車して、あらかじめ見当をつけていた重要伝統的建造物群保存地区へ。宇陀川(名張川、木津川、淀川になる)を渡って、まず西山地区の情報を入手するために「まちなみギャラリー(石景庵)へ入る。




まちなみギャラリー(石景庵)

 ここを管理している親切なおばさんからいろいろ情報を教えてもらい「まっちゃま町歩きマップ」も入手できました。



スケッチ用にと大きなせんべいみたいな分厚い宇陀紙も購入しました(^^)。


 この町には城跡があり、古城山頂上(472m)に天守閣跡がある。展望もよいと聞いたので、町並み散策の前に登ってみることにしました。



春日神社の参道



登山道はこの春日神社境内に入る石段手前を右へ


鬱蒼とした山道を登っていく
樹林帯を過ぎると視界が開ける。頂上の天守閣跡の広い頂上に着く。



天主への入り口


天守閣跡の高台

旧松山城天守閣跡
 春日神社の参道脇から古城山への登山道がある。初めは南北時代の土豪「秋山氏」の居城で秋山城と呼ばれた。1585年(天正13年)豊臣秀長の家臣伊藤掃部頭が入城、翌年には加藤光泰、同16年羽田長門守、多賀出雲守と代わって、1615年(元和元年)福島孝晴が入城し、松山城と改名したが、改易にともない1615年天主などが破却され、小田信雄(信長の次男)が3万石で入部する。

頂上からの展望
大宇陀はこのように山に囲まれた山間部だ。



下山してからは古い町屋の並ぶ通りを散策しました。




案内板
案内マップを見ても、それぞれよく似た造りで、どれがどの建物かよくわからない(^_^;)。
以下写真だけ貼り付けます。




薬の館


特徴のある禅宗様唐破風付きの薬の看板です


木造つし2階建、切妻作、庇付、桟瓦葺の大型町屋


旧町並みに残る江戸時代中期の建物。薬問屋を商っていた細川家住宅を修繕した歴史文化館。
薬に関する品々、町の歴史、文化に関するものなどを展示している。
残念ながら今日は月曜で休館(月曜日・火曜日は休館)でした。






松山西口関門

福島氏の居城だった松山城の名残を留める
唯一の遺構です。



重要伝統的建造物群保存地区の通り








重要伝統的建造物群保存地区の通り





万法寺
太鼓楼が目をひく真宗本願寺派のお寺。永和3年の創建と伝えられている。
町屋は難しくてスケッチはパス、この一枚だけ(^_^;)







通りの町屋の片隅にあった郵便局



吉野葛のお店
お土産買おうと思いながら、
なんだか敷居が高くて入りにくかったのでパス(ーー;)。



久保本家
清酒「初霞」 「万葉の霞」の製造元
やっぱり葛よりお酒(^_^;)
利き酒させてもらって「初霞」1本買いました。




芳村酒造
「かぎろひ」の地酒の製造元として有名。で








町屋のスケッチは難しい。あきらめて本郷区の”又兵衛桜”(瀧桜)まで足を延ばして田園風景をスケッチしよう。




又兵衛桜近くの田園風景です。
どんよりと曇った空、冷たい風が吹いて震えながらのスケッチでした。




又兵衛桜(瀧桜)
 本郷区には、戦国武将として活躍した後藤又兵衛がこの地に落のび、僧侶となり一生を終えたという伝説が残っている。この枝垂桜が残る地も、後藤家の屋敷跡にあることから地元では、”又兵衛桜”と呼ばれ親しまれている。樹齢300年ともいわれ、幹周約3m、高さ約13mの見事な桜です。シーズンには数万人の花見客でにぎわう。

・・・・案内板より・・・
先ほど登った松山城跡のある古城山
山の中央、ちょっと凹んで樹木が見えるところが
天守閣跡のある頂上です。