西国三十三観音霊場
第二番と三番
2005・6・18
先日、膳所公園でスケッチしていたら湖岸に咲く花を撮りに来られたラフォーレ琵琶湖のTさんと偶然にお会いしました。そのときラフォーレ琵琶湖で「西国三十三観音霊場めぐり(日帰りツアー)」をはじめたことを知りました。6月は粉河寺と紀三井寺巡礼、粉河寺ははじめてなのでさっそく参加してきました。 ラフォーレ琵琶湖を8時に出発。湖岸道路から京滋バイパス、京奈和道路で奈良へ。国道24号線で和歌山に向かいました。大和高田を過ぎると右手に先月ツツジ見物に登った大和葛城山、つづいて樹氷見物登山で知られる金剛山と雄大な山系が目にはいる。低い峠を越えをすると吉野川沿いの五条市になる。もう隣町の橋本市は和歌山県だ。その県境を越えると吉野川は紀ノ川と名を変える。高野山が近くにあり行って見たい衝動に駆られるが今日は一人旅ではない。バスツアーなので寄り道は出来ないね(^_^;)。JR和歌山線と紀ノ川に沿って走り12時過ぎに粉河寺に着きました。道の駅などバスの駐車できる休憩箇所がないのでトイレ休憩はコンビニを利用する。4時間強のこのルートはしんどかったなあ・・・ |
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![]() 粉河寺の本堂 屋根から描き始めたら全体が入らなくなりました(^_^;) 梅雨時期というのに今日は真夏日、カンカン照りで蒸し暑くてたまらず携帯傘を差して描きました。 西国第三番 風猛山 粉河寺(ふうもうざん こかわでら) 粉河寺は和歌山県の北部を流れる紀ノ川の北岸にあり、和歌山市と高野山とのほぼ中間に位置しています。 最盛期には七堂伽藍、塔頭が550坊、寺領四万石を有し、高野山、根来寺に次ぐ勢力を誇ったが、秀吉の紀州攻めの際に諸堂を焼失し、江戸時代に再建された。大門、中門、本堂、千手堂(いずれも国の重要文化財)などが境内に立ち並ぶ。寺の『紙本著色粉河寺縁起』鳥羽僧正筆で国宝に指定されている。770年(宝亀元)に創建され、『枕草子』にも登場する古刹。正式には風猛山粉河寺。粉河観音宗の総本山で西国三十三所第3番札所としてもしられている。 |
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![]() 重文の粉河寺大門(江戸中期の建物) 今日は参拝者が少なくてお寺の中の駐車場まで入ることが出来ました。ということでこの大門の写真は不精して裏側から撮っています(^_^;)。 ちょうど昼時、この茶店で昼食をとりました。店のお姉さんが愛想顔でお味噌や桃を土産にと進めてくれました・・・買いませんでしたが(^_-) |
![]() 中門(重文) 天保三年(1832年)建立 中門には四天王が安置されている。「風猛山」の扁額は紀州十代藩主治宝候の直筆 |
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![]() 粉河寺庭園(国指定の名勝) 桃山時代の枯山水の石庭。使われている紀州石は雑賀崎の青石、琴浦の紫石、竜門山の竜門石の名石とある。 |
![]() 本堂 限られた時間でスケッチしたので、建物全体の写真を撮るの忘れました(^_^;)。屋根はスケッチ画を見てください。本堂正面からは二重屋根、横から見るといくつもの屋根を複雑に組み合わせた八棟造り(権現造り)です。 |
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![]() 高台の境内からの和歌の浦の眺め |
![]() 紀三井寺の本堂 |
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帰りは和歌山市内の混雑を避けて、海南ICより阪和自動車道にはいり近畿自動車道・名神高速・湖西道路と走り琵琶湖大橋をわたってラフォーレ琵琶湖に3時間で無事帰着しました。どの道路も車が少なくスムーズに走れラッキーでした。 |