JR駅からはじまるハイキング
31:多武峯街道コース
2003年4月7日
歴史を物語る古代大和の道
大化改新ゆかりの道を訪ねて
JRハイキングマップ資料から・・・
JR桜井駅から歩程 約21.7km
所要時間 約6時間25分(見学は含んでいません)

 とうのみね(多武峯)と談山神社は小学生のとき行った記憶があるが、イメージがまったく浮かんでこない。まえから行きたいと思っていたがコースも長く、滋賀から日帰りはちょっとしんどい。でもガイドを見ていると急に行ってみたくなり出かけました。そのためJRコースを忠実に歩くのはムリなので明日香の石舞台をゴールとしました。5kmほど短くなりました。
奈良の桜井へは近鉄のほうが便利で早いため、京都から近鉄を利用しました。桜井駅はJRと近鉄は隣り合わせにあります。

10:30 桜井駅正面の通を南へまっすぐ進み若櫻神社へ向かう。お参りをして見事な櫻をながめて高台にある桜井公園へ。ここには安部山城跡、四等三角点、土舞台がある。ここまではコースマップの逆コース、ここから往路コースに方向転換して聖林寺へ。
若櫻神社の満開の桜が目を引く
日本芸能発祥の地:土舞台(つちぶたい)・・・これから向かう飛鳥の石舞台はお墓だが、この土舞台は推古天皇時代に摂政だった聖徳太子が初めて国立の劇場設けられ他場所といわれている。11:00
満開の桜の向こうのこんもりとした所はメスリ古墳という面白い名前がつけられている。JR地図にはあるが説明はない(現地にもありません)
聖林寺への参道に出会ったところに談山神社の大鳥居がある。その参道にある石仏と造り酒屋。
コースを振り返り聖林寺橋とお地蔵さんを撮る。
ほんの少しで聖林寺の駐車場があり、六地蔵が迎えてくれる。
聖林寺の門
談山神社への車道からデジカメのズーム最大(7倍)で聖林寺を撮る。
コースの舗装道路でであったショウジョウバカマやスミレ
聖林寺(しょうりんじ)
藤原鎌足の子、定慧(じょうえ)が唐より帰国後、和銅五年開基。本尊は子安延命地蔵菩薩(大きな石のお地蔵さんが本殿内に鎮座していました)と三輪の大御輪寺から移されたという国宝の十一面観世音菩薩で有名。

ゆっくり見学させてもらい12:20出発
談山神社への車道から右へはずれ、九頭竜神社、今井谷橋を渡り別の車道に出会ったところにある地蔵と桜。ここから辻堂橋を渡ると右側に「横柿・北山」方面への標識がある。この急坂が続く舗装道路を談山神社まで2時間弱を歩くことになる。
談山神社への舗装道路は植林の杉林が続き、途中途切れた所に梅林がある。このあらりまで登ってくると桜はまだつぼみ。聖林寺で出会った方が麓は散りだしていても山の上は桜はまだまだですよっていわれていたが本当だ。
談山神社に近づくとゆるいくだりになりほっとしたが、西門跡(女人結界は明治の廃仏毀釈で廃止、標石だけがある)からは境内へは急坂を下ることになる。参拝して西門跡の駐車場にもどる人たちがフーフーいっている(^_^)。境内の建物は鮮やかな朱色、かえでの木が多く紅葉の季節は奇麗だろうな!
けまり広場から神廟拝所と十三重塔
本殿に続く拝殿から東殿を見る
拝殿:石段を登った所に本殿、拝殿への入り口がある
談山神社・・・・大化の改新発祥地

御祭神 藤原鎌足公
由緒(談山神社の案内より転載)舒明天皇・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、、国の政治をほしいままにしていた。このとき、藤原鎌足公は志を抱いて国家の正しいあり方を考えていた。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠の会があったとき、聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にま見えることができ、645年5月二人は藤の咲き乱れる多武峯(談山神社の裏山)で「大化の改新」の談合をおこなった。後にこの山を談山(かたらいやま)・談所の森と呼び、神社の社号の起こりとなった。
多武峯から下山途中の明日香村の民家
石舞台と隣接している公園の桜は今が見ごろ、沢山の人で賑わっていました。
16:00 昨年春二回の明日香村周りをしているので今回はパス。石舞台の写真も入場せず、垣根越しに撮りました。石舞台から少し歩いた所の岡寺下のバス停から橿原神宮行きバスで帰宅の途につきました。長い大和路歴史散歩を楽しめた一日でした。