青春18切符
第2日目 石見銀山と銀山から銀の搬出港・鞆ヶ浦へ・・・
2007・7・26



 さあ、今日はこの旅の本命・世界文化遺産の石見銀山遺跡だ。

 石見銀山は、1526年(大永6年)に九州博多の豪商・神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見されて以来、約400年にわたって採掘されてきた日本有数の鉱山です。
16〜17世紀の約100年間には大量の銀が採掘され、大内氏、尼子氏、毛利氏といった戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われました。17世紀前半の銀産出量は年間約一万貫(約38トン)と推定され、世界の算出銀の約1/3を占めていたといわれる日本銀のかなりの部分を産出していたと考えられます。
「石見銀山遺跡案内マップ」・・・石見の国おおだ観光振興協議会より抜粋。

石見銀山遺跡は大森地区、温泉津(ゆのつ)地区、鞆ヶ浦(ともがうら)地区など広範囲に広がっている。
今日の予定は大森地区と鞆ヶ浦を予定している。





出雲駅を出発、大田市へ向かう。





約30分で石見銀山の玄関口、JR大田市駅に着く
今日は晴れの予報なのに霧雨が降ってきた。

 大田市駅からバスに乗ったのはたったの四人でした。一人は島根でおなじみの大きな花籠を背負った花売りのおばさん、あと二人は同年輩の男性だ。花売りのおばさんから石見銀山は大森地区の入口代官所跡で下りなさいと教えてくれました。バスを降りたら雨が本降りになってきて土産店でビニール傘を買うはめに・・・・
ちょうど居合わせたボランティアガイドのおばさんが親切に石見銀山の歩き方を教えてくれました。まず龍源寺間歩までバスで行って、唯一公開されている龍源寺間歩を見学してから大森の町を散策しながらこちらへ戻るのがお勧めとアドバイスをもらう。バスで一緒だった人はなんと草津市から18切符で同じ時刻の電車で来たという。旅は道連れご一緒する。



 龍源寺間歩バス停を降りたら雨も少し小降りになる。しかしすごい湿度・・・




龍源寺間歩入口
数分で龍源寺間歩につく、ここでお得な石見銀山散策チケットを購入






5つの有料施設を見て回るお得な散策チケット

 大森地区は石見銀山遺跡の中心部。銀鉱石を産出した仙ノ山一帯には間歩(坑道)をはじめ、採掘に関連する遺構が残っている。大森の町には幕府領だった江戸時代から戦前までの建物が残り、銀山を管理した武士の家と民家が混在した街並みがみられる。





写真は本坑から掘られている狭い採掘跡。なぜか本坑道はうまく写せなかった。

 銀を採掘した行動を間歩(まぶ)と呼ぶ。大小様々なものがあり、調査では露頭掘りも含め600以上も確認されています。その中で唯一公開されているのがこの龍源寺間歩です。通り抜けができる行動に入ると冷気が広がり別世界だ。
龍源寺間歩から出て、戻りはゆっくり歩いて散策することにする。



佐毘売山神社
 16世紀中頃創建の鉱山の守神「金山彦命」を祀る。壮大で全国一の規模の山神社。現建物は文政2年再建。あまりの蒸し暑さにこの石段では・・・パスしました(^_^;)。



銀を産出した仙ノ山への道
ここもパスして散策チケットにある羅漢寺へ向かう。






羅漢寺



五百羅漢の石窟



石仏


 羅漢寺と道を隔てて五百羅漢がある。18世紀半ばに、25年の歳月をかけて造立された。左右の石窟の中に石造り羅漢像が250体ずつ安置されていました。自分に似ている羅漢像がひとつあるといわれるが探す根気がありませんでした(^_^;)。




 スケッチするためご一緒した男性二人と別れる。一人は松江に今夜一泊して、翌日ゆっくり一日かけて帰宅するという。もう一人の方は萩から山口を回わる一週間の旅だという




五百羅漢石窟

五百羅漢像は右の石窟の扉をあけると250体安置されています。絵には描いていませんが左端にもう一つの石窟があり、そこにも250体の羅漢像がありました。






大森地区

 散策していて、今度は中津川から青春18切符で来たという人(写真の男性)に会いました。この方はこれから出雲大社へ参拝してから日御碕の宿に泊まるという。みなさんよく青春18切符で似たコースを歩いていました。




大森地区の町並み
雨あがってが今度はカンカン照り、汗がタラタラ落ち着いてスケッチできない。数分描きの荒っぽいものになってしまいました。







大森地区の町並み



岩山の上にある観世音寺の山門から今歩いてきた龍源寺間歩から大森地区の町並みをスケッチする。




 このあと武家屋敷「旧河島家」(代官所につとめた役人宅)、重要文化財の熊谷家住宅(大森町で最も大きい商家)と天領石見銀山の行政をつかさどった代官所跡(資料館)を見学。代官所前のお店で「代官そば」で昼食しました。



赤線が今日歩いたルート
赤の点線はバストJRを利用



 銀を運び出した港までの道(銀山街道)歩くつもりをしていたが、ボランティアあガイドのおばさんは道標もなく道もわかりにくいから県道を歩くようにとアドバイスをもらう。行きたいと思っていた銀の積み出し港「鞆ケ浦」へ向かう。距離がありすぎるので、とりあえずJR仁万駅まで歩いて、そこから馬路駅までJRに乗ることにする。



県道31号線
 カンカン照りの舗装路を汗びっしょりになってひたすら仁万駅(約7km)目指して歩く。



石見城跡のある標高153mの天然の要害
石見銀山から日本海に至る街道沿いにあり、銀山を押さえる拠点的な城の一つであったと考えられている。



1時間半かかってJR仁万駅に着く。
下り列車は1時間待ち、仁万の海岸には天然記念物の珪化木があると聞くが足が動かない。駅員さんは馬路にもあるよって言うので、電車を待つことに・・・



馬路駅は無人駅プラットホームがあるだけ
(仁摩町馬路)







白砂が美しい琴が浜

 馬路の駅からはすぐに広大な浜に出る。ここは「日本三泣き砂」と書いてあり、砂浜を歩くと確かにキュッキュッと音がする。





 砂浜の向こうに銀の積み出し港の一つ・鞆ヶ浦の鵜ノ島が見えている。




砂浜に模様が、なんだろうと・・・・
近くを見ると沢山の鳥(カモメ?)が泣き砂の音を聞きながらダンスしているようでした。






琴が浜と馬路の家並み






鞆ヶ浦港

 馬路の鞆ヶ浦港は、銀山開発初期の16世紀中頃に銀鉱石搬出港として重要な役割を果たしていました。湾の入り口にある鵜ノ島が荒波を遮る防波堤の役をして天然の良港だったようだ。





鞆ヶ浦の入り江
湾の入り口にある鵜ノ島からスケッチしました。







湾の入り口にある鵜ノ島、陽が傾いて夕日がまぶしい






鞆ヶ浦港









 馬路駅に着いたとき、一緒に下車した親子から、乗るときこのボタンを押すようにと教えてくれました。みると乗車駅証明発行機と書いてある。ボタンを押すと駅名と時刻がプリントアウトされて出てくる。
さあホテル(出雲市)へ帰ろう。


明日はこの旅三日目、最終日です。
午前中に出雲大社と日御碕を駆け足で回って、昼前の出雲市駅発のJRアクアライナー(快速電車)で米子へ、復路は伯備線経由山陽本線で帰宅する予定です。