京都府最南端の三上山(さんじょうさん)

南山城地方で人気がある山

と き:2002年3月9日(土)
・ところ:南山城
・あるき:KENひとり
・さんこう:分県ガイド京都府の山・・・・山と渓谷社
・るーと:棚倉駅(JR奈良線)→三上山→海住山寺(かいじゅうせんじ)
      →恭仁京(くにきょう)→加茂駅(JR関西本線)
歩いたルート
滋賀の山はまだ寒い、そこで京都南部の山へ行こうとガイドブックを見ていたら、私のホームタウン近江富士(三上山)と同じ名前の山が目に入る。三上山と書いて「さんじょうさん」と読むらしい。興味をそそられさっそく出かけることにしました(^_^)。
位置はもう奈良県に近い、JR奈良線の普通しか止まらない。宇治あたりから単線のため時間待ちなどがあり、約1時間かかって棚倉駅に着きました。
棚倉駅は無人駅、駅前にはコンビにもない、車中で乗り越し切符買ってない場合どうするのだろう(^_^;)。京都駅でおにぎりとお茶を買っててよっかったなあ・・・
それでもなぜかタクシーはありました(^_-)-☆。
住宅街をすぎたところで左にカーブしてすぐ右に分かれる林道らしき道をとる。道標もないがこれがガイドブックにある林道南平尾線だろう。先に竹やぶも見えるから・・・(写真は林道から振り返って来た道を撮ったものです)
10:17 ガイドブックにあるように線路横の道を南へ300mほど行き、左へ、住宅街を東に向かう。
まちがいない・・・竹林の中、緩やかな登りで尾根に向かっているようだ。
10:45 真新しく作られた舗装道路に出ました。そのまま5分ほど歩くと初めての「三上山」への小さな道標にであう。写真右の道を再び竹林の中へ。
竹の子を生産しているのか、竹藪はどこも綺麗に整備されていました。
10:57 竹藪を抜けると少し高台の尾根道に出る。ここでやっと目指す三上山が見えてきました。まだ先は長そうだ。
11:19 レストビレッジ山城(山城森林公園)からの林道神童寺線の広い道に合流する。(左)
ガイドブックどおり3分ほど歩くと「かいがけの道」に入る分岐に着く。(中)
分岐から入ったかいがけの道(右)
急な登り道が続く、ジャンパーを脱いでシャツを腕まくりしていても汗が噴出して暑い。
11:41 地図と合わないところに長寿の道との出会いが出てきた。後で分かったがどうも新しく出来た道のようだ。・・・山渓のガイドブックは1995年版だからしかたがないね(^_^;)
11:52 「モミの小道」の稜線に出る。このカンバンの向こう側にガイドブックには載っていない幅広の未舗装道路(林道らしい)がありました。(後で山頂で出会った男性からもらった三上山資料に国土地理院の2万5千分の一「田辺」として載っていました)
12:02 モミの小道出会いから右へ、先ほどの林道を横断して山道に入ると5分ほどの登りで360度展望が利く三上山頂上に着いた。写真(中央)は頂上にある展望台です。下山する冒険の道から撮っています。
頂上にあった何かの印?2mほどの棒の上に3枚の板がついていました。なんなのかなあ\(◎o◎)/!
ガイドブックによれば頂上からは、
北:艮山(うしとらやま)、鷲峰山(じゅぶせん)
東:三ガ岳から童仙房高原
南:奈良東大寺大仏殿の東にある芳山(ぼやま)、花山(かざん)。遠く大和高原の神野山や額井岳(ぬかいだけ)などが望めるとあったが私にはぜんぜんわからない。・・・・どの山も読みが難しいですね(^_^;)
奈良生まれのKENには生駒山だけはその形からよく分かりました(^_^)。
人気の山と書かれていたが頂上までに出会ったのはたった二人だけでした。そこへ男性一人が登ってこられました。この方から三上山の資料を頂いたり、登ってこられた別ルートの情報をいろいろ教えていただきました。おかげで下山は加茂方面へトライすることが出来、とてもバライティにとんだ山歩きとなりましたm(__)m。前から行きたいと思っていた海住山寺へ立ち寄ることが出来て嬉しかったです。ありがとうございました(^_^)。
そうこうしているうちに山頂は登山者で混雑してきた、お礼を言って冒険の道を下ることに・・・・12:45
(右)頂上直下の林道から冒険の道(三上山頂上方向)です。その林道を2回横断して、3回目で再び出合った平坦な林道を歩く。左手には鳴子川(と思う)が流れている。
林道からの風景
13:10 教えてもらったとおり、林道沿いに海住山寺への道標があった。ここから谷川を渡り横の尾根への登りになる。黄色のペンキや小さなカンバンで迷うことなく海住山寺横の広場に出ました13:30(中央の写真: 加茂方面が展望できる)
左:苦抜き観音と苦抜き地蔵
右:持ち上げ地蔵さん。地蔵さん(赤い衣装をつけたところですよ)を持ち上げながら私も願い事しましたが結構重かったです(^_^;)。
文殊堂(重文・鎌倉時代)
海住山寺の本堂(中央)
(右)五重塔(国宝・鎌倉時代)
 聖武天皇は加茂のこの地、瓶原(みかのはら)に恭仁京(くにきょう)をつらせた。天平13年(741)8月平城の都をここに移した。やがて故あって都は近江の紫香楽宮(しがらき)に遷都されることになり、恭仁京の造営は途中で中止された。この瓶原を一望できる海住山の中腹に海住山寺が創建されたのは恭仁京造営に先立つ6年前、天平7年(735)のことと伝えられている。聖武天皇が大盧舎那仏像造立を発願、この工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観世音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まる。
・・・補陀洛山「海住山寺小誌」より抜粋させてもらいました。

海住山寺本堂参拝、そのとき案内の方に教えてもらった恭仁京経由の山道でJR加茂駅に無事つきました。(その道は境内の五重塔右横から行くことができます。)
恭仁京跡:この石碑は山城国分寺跡の碑です。後ろの山海住山寺(中)、(右の写真)