はじめてお参りした清明神社

2015・6・10
 いつもの京都寺町ではない、はじめてのギャラリーを訪ねました。もらった案内状には近くに「西陣織会館」と「清明神社」が目印に書いてありました。・・・ということで陰陽師で知ってはいましたが、訪ねるのは初めて阿部清明の「清明神社」、ちょっと気になってお参りしてきました。 JR京都駅からバスに乗り堀川通を北へ、清明神社前で下車する。



清明神社の一の鳥居

 鳥居の額には神社名でなく金色の社紋「晴明桔梗」が掲げられている。この晴明桔梗は、「五芒星」とも呼ばれ、晴明公が創られた陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつです。
 清明神社のこの一の鳥居をくぐると、左側に旧・一條戻り橋、右側に日月柱がある。二の鳥居をくぐると右側に清明井、そして一番奥に清明神社の本殿があります。





式神石像
 一條戻橋の傍らには、式神の石像がある。式神とは、陰陽師が使う精霊で、人の目には見えないという。式神は橋の下に封じ込められて、その折に式神がこの橋を渡る人占う、橋占(はしうら)をしていたと伝えられている。

境内に設置されている「 旧・一條戻橋」
 安倍晴明公とも縁深い一条戻橋は、平成7年に架け替えられ、現在も晴明神社から南へ100メートルのところにある堀川に架かっています。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。また、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしです。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の風情をそのままに「一條戻橋」を境内に再現しています。(清明神社HPより)


 二の鳥居をくぐると右側に清明井があります。
 晴明公が念力により湧出させた井戸が、この晴明井だそうです。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲める。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます。恵方は毎年変わりますので、立春の日にその向きを変えているそうです。
 

晴明公をお祀りしている本殿

 現在の本殿は、明治38年に建てられたものです。本殿左前に安倍晴明公の銅像がある。晴明公が、衣の下で印を結び、夜空の星を見て遠く天体を観測している様子をあらわしています。本殿右前には「厄除桃」があります。陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれている。『古事記』や『日本書紀』などでも魔物を追い払う様が描かれています。昔話、「桃太郎」もこれに由来するものだと思われます。誰にでも、自身の厄や、まがまがしいものがあります。それをこの桃に撫で付ければ、清々しい気持ちになることができます。(清明神社HPより)

※清明神社近くの一条通に「一條戻橋」があったんですね。
後で知りました。見に行けなくて残念です。



 清明神社からの帰り道バスに乗ろうと堀川今出川バス停目指す。今出川通を渡ったところからちょっと北へ入ったところにこんな神社がありました。その名は「首途八幡宮(かどではちまんぐう)」という変わった神社名でした。
 

首途八幡宮
 

本殿
 宇佐神宮(大分県宇佐市にある八幡宮の総本宮)から八幡大神を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(応神天皇)、比咩大神、息長帯姫命(神功皇后)を祭神とされています。
 もとの名を「内野八幡宮」といい、平安京の大内裏の北東に位置したため、王城鎮護の神とされました。
 かって、この地には奥州で産出される金を京で商うことを生業にしていた金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経(牛若丸)が奥州に赴く際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれている。「首途(かどで)」とは「出発」を意味し、この由緒により「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。
 このことから、特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めている。(京都市の案内板より)

散策で偶然に出会った小さな神社の首途八幡宮・・・
さすが、京都は1000年の都ですね。いろんないわれや歴史を持つ知らない史跡がいっぱいありますね。

  
 今日訪問した京町屋のぎゃらりーです。