京田辺の千鉾山

2005・8・15



 お盆で義母の家を尋ねました。腹ごなしにぶらっとスケッチ散歩にでかけました。スケッチの箇所を物色しながら歩いているうちに高船という急傾斜地の集落に向かっていました。その途中、道端に素朴な手作りの道案内があり、千鉾山と笠上神社の案内がありました。いつもの虫が出てきて低山を訪ねて見ることにしました。

途中の風景:もう栗が沢山なっていて秋の気配がするが、体は暑さで汗ビッショリでした。

 途中にあった素朴な案内板(右の写真)。
笠上神社という案内板には約2.5kmとある。
神社のそばには千鉾山(せんぼこやま)という低山(311m)がある。
瘡神社(かさじんじゃ)・・・京田辺市高船里

別名を笠上神社との呼ばれ、瘡を患う人達の平癒祈願の信仰があります。
この高台は奈良と京都の県境、京田辺市内の最高所であり、南山城南部・奈良方面が一望できる景勝地である。
ここから西に行くと奈良県生駒市のくろんど池がある。

 社の奥の不動明王の横に千鉾山への道があり、薄暗い竹やぶを進むとすぐに三角点のある雑木林の中の頂上につきました。

薄暗い樹林の中で見る不動明王はちょっと怖い感じがしました(^_^;)。

 


薄暗い竹やぶの尾根道



千鉾山の三角点


千鉾山

  戦国時代、戦いに敗れた落ち武者が刀や鉾をこの地に埋めたことに由来すると伝えられています。
 また、江戸時代大阪(堂島)の米相場通信中継所といわれています。交野の「旗振山」から伝わった米相場(米の値段)を大山崎の天王山に伝えました。
 堂島から京都までわずか4分で伝わったそうです。明治26年(1893)に電話が開通しましたが早さはこの旗振り通信にかなわなかったそうです。明治40年(1914)頃ようやく電話による通信になりました。
<NPO法人 やましろ里山の会>さんのカンバンより転載しました。






けっきょく高船の急傾斜地の集落は難しかったのでスケッチできずに戻ってしまいました。
戻ってから義母の家の近くの通りを描きました。