瀬田川ぐるりさんぽ道
(滋賀・大津市)
2015・2・16(月)

 毎週月曜は近くのOB仲間数人でコーヒー会をしています。今日話にでた一つに「瀬田の唐橋から洗堰までをぐるりと一周できる」コースが完成したという新聞記事の話題のでした。瀬田川は私のお気に入りの散策路のひとつで時々歩いています。そういえば、南郷近くの瀬田川右岸に川があり、ここを迂回しなければならない場所がありました。そこで工事をしていたのも知っている。きっと、ここが開通したのだろう・・・。今日は久々の青空、何処かえ行こうとうずうずして落ち着かない。お先に一人抜け出して草津駅へ。とりあえず石山駅まで切符を買って電車に乗り込む。いつものことながらおおよその見当をつけてスタートするのが私流です(^^;)。




名神高速からの音羽山
  最初は京都の大原野へ行こうと思っていましたが、瀬田川散策も気になるし、音羽山にも登ってみいということで石山駅で下車する。とりあえず山登りをしようと音羽山登山口のある国分の幻住庵方面に向かう。
 

 石山駅から南へ約20分ほどで歩くと幻住庵への分岐に着く。右折するとすぐにこの近津尾神社(ちかつお)の鳥居がある。何度か尋ねている幻住庵はこの近津尾神社の境内にある。


 

 道なりに進むと右手に近津尾神社の参道が見えてくる。せっかく通りかかったので、ちょっと寄り道して行こう。
 

近津尾神社の参道石段道を登って行く。


 

近津尾神社の本殿
 国分町の小高い丘陵に鎮座する神社で、境内には松尾芭蕉が滞在した幻住庵がある。幻住庵も見ていこうとしたが、工事中で立ち入れない。ちなみにこの草庵は、松尾芭蕉が元禄年間に4ヶ月滞在したという「幻住庵」を再現したものです。幻住庵のスケッチは諦めて・・・


 

国分聖徳太子堂
 しかたがないので境内から車道を下っていく。その途中に太子堂への石段がある。何度か来ているが、太子堂からの展望は素晴らしいことを覚えている。スケッチでもしようと急な石段を登って行く。そこは西北方面が開けていて、比叡山から比良山、その前に琵琶湖が広がり、手前には大津市街、右へ草津市街、守山、野洲方面まで一望できる。






冠雪の比良山系と大津市街

 ゆっくりと眼前に広がる大パノラマを楽しみながら昼食タイムとする。展望はワイドに広がりすぎているので、大津市街とら冠雪した蓬莱山、打見山を切り取ってスケッチしました。ここで時間をとってしまったため、音羽山登山はあきらめて、今朝の話題で気になっていた「瀬田川周遊ハイキング」をすることに切り替える。


 先ほどの国分1丁目の信号まで戻り、右折。石山寺の後ろの山、伽藍山を左に見て広い車道を南へ進む。どのあたりに出るかよく分からないまま道はどんどん下っていく。やがて京滋バイパスの下をくぐり、道なりに進むと石山寺三丁目東の瀬田川右岸に着きました。川岸の道を横断して護岸の遊歩道に降り立ち右(南・下流方向)へ歩いて行く。しばらく遊歩道を行くと、以前にスケッチしたお気に入りのポイントに着く。




滋賀大の船と遊歩道の風景

今日も滋賀大の船が小さな桟橋に係留されている。
今回はちょっと船に接近した構図で描いてみよう




スケッチもできたし、後は遊歩道で一ケ所つながっていなかった場所を見に行こう。
 

ああ、やはり推測していた通りここだったのか。この前はここから千丈川に沿って右へ。国道へ出て大きく迂回して南郷洗堰へ歩いていました。

 

 2月14日完成したというこの橋はけっこう長い立派な橋だ。このショートカットは快適な遊歩道歩きがつづけられる嬉しい橋だ。橋の名は一般公募で「南郷ほたる橋」と決まったそうです。橋の長さは128mもあるそうです。
 

宇治発電所石山制水門
 ここから瀬田川の水が出ていき、約11kmの水路を通って宇治発電所へ導かれている。「南郷ほたる橋」ができて国道に出て大きく迂回しなくてよくなりました。(橋の上から撮影)
 

南郷洗堰
 ”瀬田川ぐるりさぽ道”は見えている南郷洗堰の橋を渡って左岸へ。対岸にある「水のめぐみ館・アクア琵琶」の中を通ってそこから琵琶湖方面へ折り返して行きます。
 瀬田川の歴史 

 瀬田川は琵琶湖から流れ出るただ1つの川です。その歴史は浚渫と洗堰設置が物語ります。奈良時代に始まった浚渫の構想、そして明治38年の南郷洗堰設置、昭和36年の瀬田川洗堰設置、そして今日もその歴史は続いています。

 瀬田川の川浚えは、奈良時代の僧である行基が「琵琶湖周辺の洪水による浸水被害を防ぐには、瀬田川を開削し、早く多く下流に流すしかない。」と言ったことが始まりですが、その後なかなか進みませんでした。 江戸時代に入った元禄12年(1699年)、幕府の命を受け、指揮をとった河村瑞賢によって、瀬田橋から旧洗堰の間の東岸を切り取って浚え、黒津八島の洲を取り崩して2つの島とし、水の流れを円滑にするという大工事がなされました。その後、高嶋郡深溝村の庄屋、藤本太郎兵衛の親子三代にわたる努力によって天保2年(1831年)自普請による改修が実現しました。全長14kmにわたる、川浚え、瀬違えの掘割など本格的な工事で、沿岸諸村から出役人夫31万人、銀347貫を費やして5ヶ月で竣工しました。
 明治11年には、洪水時に多量の土砂が流れ出し瀬田川の洪水の一因となっていた田上山の土砂流出を防ぐために、砂防事業に着手しました。明治18年、22年と続けて下流淀川で大きな洪水被害を受けたのを契機として、水系上下流一貫の治水工事(淀川改良工事)が実施されました。その内容は瀬田川の浚渫と洗堰の設置、宇治川、桂川、木津川の三川合流点付近の河道整備、新淀川の開削などでした。
 また、浚渫とともに重要なこととして、洗堰の設置があります。これは、瀬田川浚渫により流れがよくなると、こんどは下流淀川が洪水を起こしやすくなってしまいます。また、長い間雨が降らないと、琵琶湖の水位が下がり、水不足(渇水)になってしまいます。この洪水と渇水という相反する2つの事項を解決するために設置されたのが洗堰です。明治38年には南郷洗堰に替り、昭和36年には現在の瀬田川洗堰が築造されました。
・・・以上、国土交通省のHPより転載させていただきました。
 

アクア琵琶の中にある旧南郷洗堰の遺構
 

アクア館を抜けて、再び川岸の遊歩道歩きになる。
 

やがて前方に京滋バイパスの橋が見えてくる。
その後方に冠雪した比良山が遠望できる。
 

 往路、スケッチした「滋賀大の船と遊歩道」風景の背景に見えていた船溜まりです。
 

いま歩いてきた船溜まりのある住宅街を振り返る。中央に見えている山は大日山です。

 

京滋バイパスが見えてくる。
 ここをくぐって少し行くと対岸(西岸)に石山寺が見えてきます。


 やがて、川岸を行く遊歩道は護岸上の車道横を通る道となります。煙突は石山駅近くの東レの工場のものです。後方の山は比叡山です。
 

 瀬田川に架かる左が名神高速、右が新幹線の架橋です。風もなく、穏やかに流れる川面には行き来する練習中のボートが多く見られました。
 

 やっとこのコースのゴール(出発点でもある)の瀬田の唐橋が見えてきました。

 

唐橋東詰の袂から望む比叡から比良山
 前方の橋は手前が国道1号線、その後ろはJR琵琶湖線(東海道線)です。

 

瀬田の唐橋に到着
 今日は歩くと汗ばむほどの小春日和、スケッチもできて楽しい歩きができた一日となりました。ちなみに、後方の山は最初登ろうと思っていた音羽山です。
  

ウォーターステーション琵琶でもらったチラシ
完成記念! 瀬田川ぐるりさんぽ道
ウオークラリーより

 
 
 帰宅してからネット新聞記事を探すと、中日新聞(滋賀) 2月15日の記事がヒットしました。
(以下にこの記事を転載させてもらいました。)

「瀬田川沿い散歩道つながる南郷ほたる橋が完成」
 完成した南郷ほたる橋の渡り初めをする人たち=大津市南郷1で大津市の瀬田川沿いで整備が進められてきた瀬田川散策路の最終区間「南郷ほたる橋」(南郷1)が完成。14日、開通式典が催された。瀬田唐橋-瀬田川洗堰(あらいぜき)間をぐるりと一周できる散策路(8.2キロ)が一本につながった。愛称は「瀬田川ぐるりさんぽ道」。散策路沿いでは、石山寺などの名所や、近江八景の「瀬田の夕照」にちなむ遊歩道「夕照の道」などを楽しめる。ほたる橋は、長さ128.5メートル、幅3.5メートル。完成により、国道への迂回(うかい)をしなくてもよくなった。式典には、琵琶湖河川事務所の塚原隆夫所長や越直美市長、地元関係者らが出席。越市長は「多くの人に親しまれる場になってほしい」と期待した。テープカットの後、出席者が渡り初めをして開通を祝った。散策路は、国や県、市が1989年度から、四半世紀かけて整備してきた。総事業費は27億円。うち、ほたる橋には1億8000万円をかけ、2011年度に着工した。3月22日には、さんぽ道の完成を記念したウオークラリーが開かれる。小雨決行。参加無料。

ウォーターステーション琵琶
077(536)3520