湖国出身の力士、志賀清林(しがせいりん)

2015・9・12
 今朝の朝刊(京都新聞滋賀版)を見たら、「昔々湖西地方のある村に、相撲界の大スターがいた」という記事に目が留まりました。その人の名は「志賀清林(しがせいりん)」、奈良時代に活躍した今でいう横綱で、行司として四十八の決まり手を考えた人でもあるとのこと。明日から大相撲九月場所が始まるという縁にも誘われてさっそく志賀清林公園へ出かけました。お墓が旧志賀町木戸(現在は滋賀県大津市)の琵琶湖を望む高台にあるという概略の情報だけ、とりあえず湖西道路の志賀ICで下りて大津市役所支所(旧志賀町庁舎)の駐車場に車を止める。ちょうど支所で消防車の清掃整備中の隊員の人がいたので「相撲の志賀清林」のことを聞いたがわからないという。でも清林なら西の方角にあると教えてもらい歩きだす。


 

樹下神社


樹下神社の境内です。
 集落の道に入ったところで出会った人に”清林公園は?”と道を尋ねたら、方向はあっているけれど歩くと遠いですよ。車で行かれた方がよいですよといわれたが、戻るのも面倒なのでそのまま進むことにする。先に進むと樹下神社の鳥居が右手に見えてきた。とりあえずお参りして行こう。後方には途中ずっと見えていた比良の蓬莱・打見山が聳えている。



  
 樹下神社を過ぎると、視界が開けて右手に比良の蓬莱山(左から)から打見山への稜線が間近に見えてくる。琵琶湖バレイの大型のゴンドラ(真ん中の白い小さな点)が見えている。素晴らしい天気、登ってみたい衝動にかられながら清林公園へ向かう・・・・


 駐車した支所から歩いて約30分、集落の建物が途切れて、やっと清林公園に着きました。今日は天気がよくて陽射しが強よく、もう汗ビッショリだ。

 

 着いたところは公園の上部、琵琶湖の眺めがいい。 対岸に見えている山影は近江八幡市だ。左から沖島、津田山から長命寺山へと続いている。さて、今日の目的は公園ではない、志賀清林の「あぐらをかく力士の姿が彫られている」像を探そう。
   
清林相撲公園を道路側から見ると相撲取りと行司の像が見えているが、これではないだろう。
 

相撲取りのパネル
 

公園の上部から撮っています。
 公園内をあちこち探したり、公園にいた人にも聞いたが、地元の人も知らないという。見つかったのはこの説明板だけでした。

 

志賀清林の説明板
 志賀清林は、「近江國志賀ノ里ニ志賀清林ト云ヘル者」と『相撲式』(吉田司家蔵)にあり、本町木戸の出身だといわれている。また、相撲司吉田家の伝承によると734年(天平6年)に定められた「相撲節」の立案に携わり、相撲の公認の作法を作った人で、国技相撲行司の始祖と伝えられている。

相撲は古くは力くらべや神事とされた。『日本書紀』には7世紀、旧暦の7月に行われた宮中の相撲の記事がある。また、『続日本紀』に719年(養老3年)、7月に宮中相撲節を担当する「抜出司」が任命されたとある。7月7日(七夕)の宮中行事としての相撲節会がなされたが、志賀清林は、それまで明確な作法も土俵もなく、生死を賭けた闘技であったものを「突く、蹴る、殴る」の三技を禁手とし、手による「なげ」、足による「かけ」、腰による「ひねり」、頭による「そり」の四手を基本に、おのおの十二手の決まり手を付し、相撲四十八手とした相撲確立の第一人者である。

志賀清林死後、志賀家は行事の家として代々務め、その家名は高かったが、平安時代末期に相撲が中断したときに断絶し、相撲司は吉田家(吉田司家)に移り、吉田家から木村家・式守家により継承されている。
 


公園の上部へ行ってみたが、霊園があるだけでした。これはその高台からの展望です。

 

琵琶湖の湖南方面の展望です。
右手に琵琶湖大橋が見えている。


 今回もいつもと同様、事前の情報確認をちゃんとしていなから仕方ないなあ。あきらめて帰ろうと国道に出る。ちょうど稲刈りをしていた人がいたので、もう一度志賀清林の像のことを聞いてみる。”そんな像はないけど、だいぶ前に朝青龍がお参りに来たこと聞いたことがあるよ”。その場所は、この国道沿いに歩いて公園を過ぎたところのお墓あたりだと教えてくれました。行ってみると志賀清林のお墓が見つかりました。

 

石塔 
私が早とちりしていた清林の像とは、この石塔に刻まれた顔?だったのか・・・

 志賀清林の墓所
 


志賀清林のお墓に並んで立っている顕彰碑がある。
 この碑ができたのは1918年(大正7)、京都新聞の記事には、「文を考えたのは有名な政治家、板垣退助で、顕彰団体の総裁を引き受けるほどの「相撲マニア」だったようです。志賀町がこの墓の前に清林相撲公園を作ったのは1964年だそという。
 

「琶湖萬頃 良嶽千仞 清林遺芳 磨面不磷」
 広いびわ湖、高い比良の山を望む地で、清林の業績を忘れずにいよう」
 

伯爵板垣退助篆額の文字が刻まれている。





 志賀清林の墓所を後にして、帰り道は琵琶湖岸の浜を散策くし戻りました。 
 

稲の刈り入れで忙しい棚田からの琵琶湖の眺めです。
 
  あちこちにもう彼岸花が咲いていました。 暑いといっても季節はもう秋なんですね。
 
  湖岸風景を楽しみながら車を駐車した大津市の志賀支所へ戻る。



ドライブの参考情報です。
これは帰り道、湖西道路の和邇IC出口に新設された道の駅「妹子の郷」です。
 

妹子の郷


妹子の郷駐車場からの比良山系