甲賀市水口町と信楽町の境界に位置する修験道の山
宮町登山口から飯道神社、飯道山へ

2005.3.15


 
 今日は信楽の史跡紫香楽宮跡で行われる発掘現場の報告会に出かけることにしていました。午後からの説明会なので、午前中の空き時間を利用して近くの飯道山へ久々に登ってきました。
 信楽側の宮町登山口は約400mの標高、ここからのコースはジグザグの急坂ですが飯道神社まで一気に30分ほどで登れます。積雪もなく晴天に恵まれましたが、厳しい寒さにはちょっとまいりました(^_^;)。



宮町登山口
鳥居の横に「此れより飯道神社山上迄七丁目」の石標がある。






鳥居をくぐると樹林帯の中を登る参道となる。




 5丁目を過ぎたところで三体のお地蔵さんに出会う、案内板には「地蔵宿」とあり下記のような文が・・・意味がわからないし、読めない(^_^;)

六道をみちびきたまう
地蔵尊 前にいこうも えにしなるらん
南無六道能化 地蔵菩薩 哀愍護念一礼







 6丁目近くの石垣の道、ここを過ぎると懐かしい形の手動ポンプが目に入る。金亀水と書いてあるが読み方はわかりません。使ってみたが水が出ない、以前来たときはたしか水が出たような記憶があるが・・・








今日歩いたこーすです。点線は復路歩いた道です。




 いがいとあっさり。七丁目の境内だ。飯道神社鳥居の横に大きな岩がある。境内へからは信楽方面の展望がある。とりあえずお参りするため本殿に向かう。









飯道神社の本殿
下手な写真で、きらびやかな極彩色はわかりませんね(^_^;)。
この本殿を取り巻く巨岩巡る行者道(約30分とある)があるが今回はパスして飯道山頂へ急ぐ。





重要文化財「飯道神社」

 神体山の信仰から始まって、延喜式神名帳に甲賀郡内八座の一つとして記載されている古寺である。飯道神社は、人の生活を支える食物、飯(五穀)の豊穣を願い、生命力の根源を称える神として信仰されてきました。現在の本殿は、江戸時代初期の慶安3年(1650)に再建されたものを昭和51年より3年をかけて解体修理したもの。建物の形式は、屋根は入母屋造、正面には千鳥破風を付け、正側三方に裳階(もこし)を設けた桧皮葺です。また、本体の胴部(軸部)の縁廻り回りは、総漆塗りで、外陣の天井には金箔を押し、身舎(もや)上部や紅梁、向拝廻りには極彩色がが施されなど豪華絢爛の建物です。・・・案内板より抜粋り





 飯道山へ向かって林道を行くと道標があり、飯道神社への山道が示されていました。何回か歩いているのにいままで気がつかなかった。帰りは飯道寺の遺構跡や木食応基上人定窟(墓?)のあるここを歩いてみよう。




林道から飯道山への山道(左へ)に入る分岐
詳しい略図の案内板があります。


 杉林の中の山道に入ると足元には熊笹が茂っている。なかなかいい雰囲気だ。登山道はあいかわらず日陰に入ると凍っている。歩を進めるたびに凍上した土を踏む音がバリバリする。本当に寒い日だ。




飯道山頂上で記念撮影

 この頂上へ20kgもの荷を背負って次々に駆け上がってくる水口東高校のワンゲル部員を応援、ちょうどタイムトライアル中とか、さすが現役、真似はできません(^_^;)
30分ほど談笑して杖ノ権現休憩所へ下る。





頂上からの展望(北方面)
三上山の向こうに雪をかぶった比良山系の山々と琵琶湖が霞んで見えている。
比良はまだまだ冬模様です。





北東方面の展望、山並みは鈴鹿山脈だろう





杖ノ権現休憩所
 ここから貴生川方面ルートと別れ林道を飯道神社へ戻る。
 飯道山山頂まで0.5km、飯道神社まで1.5km、貴生川駅5.5kmの道標がある。









数分で林道に出合う(振り返って写す)。

この林道を鋭角に戻るように(前方右へ)下ると庚申山「広徳寺」とある。
 ここの道標は貴生川5.5kmだったが、飯道神社までは0.5kmとなっている。どうなっているの
(山道と回り込んでいる林道の違いかも・・・)



林道を飯道神社方面へ直進して、林道を登り返ししばらくすると往路通ったY字型の分岐に出る。
 今度はショートカットの山道(右に)を進む。広い林の中にはところどころ石垣などが残っている。いかにも寺院の建屋が建っていたと想像できる所だ。
 ここを過ぎると林が開け、飯道神社の境内前の大岩の前に出ました。大岩の前には月の峰と書いてありました。





境内からの宮町の展望

 紫香楽宮の主要建物のあったといわれている宮町のことは、下山後訪問した「史跡紫香楽宮跡発掘現場説明会」で知ることになる。

 ここからは再び急なジグザグの参道を下り、三丁目からは道を替えて木製の階段を下って休憩所経由の林道で登山口に到着しました。