地元守山市教育委員会主催の

ふれあいファミリーハイキング

志那港から守山今宿までの志那街道にひかれて参加しました。
今回の楽しみは旧志那港や志那街道、蓮海寺の貴重なお話を地蔵講の氏子藤田先生のお話が聞けることでした。

2004/10/23(土)



歴史ふれあいBコース (18km)

  市民体育館 → 小津神社 → 道の駅草津 → 志那港・蓮海寺 →【志那街道】→
   9:00              10:30〜10:45    11:30〜12:30 
                       (休憩)       (見学・昼食)
  三大神社 → 惣社神社 → 常磐公民館 → 印岐志呂神社 → 小津小学校 → 市民体育館
                   13:20〜13:40              14:30〜14:40   15:20
                      (休憩)                   (休憩)




ファミリーハイクのルートをハンディGPSで記録しました。

出発前のミーティング(市民体育館前)

守山市民運動公園の体育館前で受付をすまして
Aコース(8km約3時間のコース)と私の参加したBコース(約18km)の二つに分かれて9:00同時に出発。

体育館前を出発して琵琶湖岸へ向かう
最初の訪問地小津の小津神社

小津神社参拝と休憩
景行天皇の皇子日本武尊の孫小津君を開拓の祖神としてまつられたのが創始。


長刀踊り
毎年5月5日の古式祭り長刀踊りは欽明天皇の頃、洪水により湖中へ流出した神殿を再び現在の地へ迎えた民人の喜びを長刀踊りとして今に伝え国の無形民俗文化財に選択されている



湖岸道路の横の歩道を歩いて道の駅草津へ




2回目の休憩地(道の駅草津)
琵琶湖博物館や水生植物園のある烏丸半島のそばにある。土曜日とあって大勢の人々でにぎわっていました。

道の駅からさらに湖岸道路を大津方面に向かって歩くと40分ほどで蓮海寺に到着しました。
寺と湖岸道路の間には小公園(池や東屋、トイレなどがある)があり、昼食&休憩にはいいポイントでした。



湖岸道路側にある小公園から見た蓮海寺


蓮海寺と号するこの寺名は、当地志那浦が中世から近世にかけてハスの景勝地であったことから蓮海寺の名前の由来となった。
開発が進む前はお堂が琵琶湖に突き出た形になっていて、先生は小学生の頃この蓮海寺横の浜によく泳ぎにきていたらしい。昭和40年頃からの湖岸開発で浜は湖岸道路の先となる。その当時の面影が蓮海寺の灯籠と寺を囲む石垣に残っている。
(下の写真を見比べてください)。


湖岸改修前の蓮海寺
船に乗っている方がその当時の住職です。

現在の蓮海寺
現在の周囲は小公園になっている。
旧志那港の話
志那港、矢橋の帰帆島、北山田港は草津三港といわれ、志那港は一番早く発展しました。
志那港は延暦寺の物流ルートとして坂本から海上直線距離(3.5km)が一番近いことから賑わったらしい。ここから志那街道で守山の今宿経由で伊勢路、東海路、北陸路へと物資を送る道になってました。
この街道は足利義久が六角氏を攻るときにも使ったといわれるルート。街道沿いの印岐志呂神社あたりで大きな戦があったとも話されていました。江戸時代になると志那港から矢橋の帰帆島に港の拠点は移っていった。

志那という漢字から中国と関係が深いのかと思っていたら、ここの志那は中国とは関わりがないとのことでした。



木造地蔵菩薩立像(像高163.5cm)は寄木内刳り造り
重要文化財(明治三十三年国宝指定)。





比叡山を西方浄土とみなしてこの辺りにお堂を建てた。ここの延命地蔵は最澄の弟子の作で木之本地蔵(最澄作)と志那中の極楽寺にあるお地蔵さんの三体が同じ杉の大木から作られたといわれている。
すすけて真っ黒だった仏像を平成5〜6年にかけて修復していまのかがやきを取り戻している。


蓮海寺と志那街道についてお話いただいた藤田先生はこの寺を守っているたった8人の地蔵講メンバーです。寺を守っていくのは大変なことだと話されていました。


惣社神社

赤い鳥居のある印岐志呂神社の参道

三上山の見える堤防の道(めずらしく地道)を歩く。もうすぐ出発点の市民運動公園だ・・・
予定通りに市民運動公園の体育館前に到着しました。お楽しみ抽選会とマイレージ記念表彰もありイベントは無事終了しました。
お世話くださった体育指導委員と教育委員会の皆様ありがとうございました(^_^)。