新薬師寺

2005・8・10

「新薬師寺」 の「新」とは、 西の京にある「薬師寺」に対するものではないということ。
新薬師寺の「新」も「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味ということを今回はじめて知りました。奈良生まれなら育ちなのに(ーー;)・・・



奈良で用事をすませた後、時間が出来たのでスケッチでもしようと新薬師寺を訪問しました。
これまで新薬師寺へは何度も訪れていますが、本堂の薬師如来坐像(国宝−平安前期)や有名な十二神将(国宝−奈良時代)を実際に拝観するのは今日が初めてのような・・・・気がします。
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聖武天皇の眼病平癒を祈願して、天平十九年(747)光明皇后によって建立された寺です。
当初南都十大事の一つに数えられたが、三十三年後西塔に落雷して焼失し、現在の本堂(当時の食堂と推定)だけが焼け残ったという。現在の境内や建物からはその壮大さは想像出来ません。




新薬師寺の本堂(奈良時代−国宝)
本堂には薬師如来を中心に、その周囲を思い思いのポーズをとった十二神将が円陣を組んで薬師如来を守る形で立っています。その中でも代表的なのが迫力のある顔をしたバサラ大将(国宝−天平時代)ですね。

本尊の薬師如来さまは、榧(かや)の一木造(いちぼくづくり)で、目がとても大きく、まるで生きているよう。親しみ易い身近なお顔でした(^_^;)。



 写真禁止ということで雰囲気作りのため代表的な十二神将ノバサラ大将をしおりから転載させてもらいました。


境内にあった石塔
この十二神将は木造でも鋳造でもなく塑像(粘土)であり、1250年も経過しているとは想像できません。勿論粘土だけでなく、芯木に粘土、砂、ワラを練って塗りつけて制作されています。製作者は不明ですが、当時最高の技術をもった渡来の工人(技術者)ではないかといわれています。



新薬師寺の南門
(鎌倉時代−重要文化財)



萩の寺といわれているが、萩にはあと一月早い。
サルスベリを入れて本堂を撮りました。







新薬師寺の東門より通りをスケッチしました。